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「品行方正が求められすぎるとお笑いは死んでしまう」コロチキ・ナダル、“クズ芸人”としての矜持と葛藤
中学時代の壮絶ないじめ、笑い話に昇華できたと思っても「やっぱり軽くトラウマになってるんやろな」
「僕の言い方も悪かった。ルール的には正しいのは僕ですが、“こっちが正義や”みたいな、それこそ圧をかけるような言い方をしたと思いますし、それぞれ人は物差しがあるのに、すべてを自分の尺度で計っていたような気がします。相手からしたらそれは苛立ちますよね」(ナダル/以下同)
実はナダルは非常に躾に厳しい家庭で育ち、人一倍正義感が強かった。真面目な性格ゆえに、ついつい注意してしまい反感を買う結果に。「当時は相当しんどかった。芸人になってからは笑い話にしていましたけど」と言うが、2015年、地元に凱旋ライブした際に、主犯格の女子と再会。ビンゴ大会で「ビンゴ!」と壇上に上がってきたのがその女子だった。「その時に顔がひきつって何もできなくなった。相方の西野(創人)も、“どうした?”みたいに気づいたみたいですね。自分の中では克服したと思っても、本人を前にするとビクッとなるというか。やっぱり軽くトラウマになってるんやろなって思います」
こうしたいじめ体験を、芸人になったナダルは、周囲へ面白おかしく話す道を選んだ。武勇伝は人を辟易とさせるが、不幸なことは笑いになりやすい。先輩たちの技術を真似しながら昇華していき、反応が良かったことでYouTubeでもネタにしていった。
「僕がクズで笑いをとっていることが、どこかで“いじめ”に繋がっているかもしれない」
「そもそも相方の西野が『アメトーーク!』で僕のエピソードを面白おかしく紹介し、それを番組が面白がってフィーチャーしてくれたのがきっかけ。そこから“クズ芸人”とカテゴライズされていますが、本質で見ると面白いことを追求しているだけなんです。『なんでやねん』とツッコまれるのは、ちゃんとしてないから。人とずれてるから笑えるわけで、その際どいところを攻めた結果、僕の場合は“クズ”が面白いとなった。そもそも本当のクズはヤバすぎて、テレビに出ても皆引くし笑えない。僕はたまたま根が真面目すぎたので、その基準があるからズレたことをやれると思っています。真面目の軸をちょうどいいクズの軸にずらす。でもだからといってクズにこだわりすぎるのも良くない」
面白さを追求したことでクズにたどり着いただけであり、クズに囚われると、本来の“面白さ”を失ってしまう。実際、彼のなかにも「やってはいけない」クズの線引きがある。「分かりやすいのは女性遊びですね。昔は女の子が大好きで、ほっといたら大トラブルを起こしていたかもしれません。テレビでも匂いを嗅いだり、髪の毛を頭に載せたり…。ですが結婚した今となっては、それをすると妻を傷つけてしまう。家族が大事な僕にとってそれは耐えられない。そもそも昔と違って今は、下手な女性遊びは命取りになる時代です。仕事も家族も失うでしょう」
確かに今は芸人にも“品行方正”が求められる時代だ。あまり“品行方正”が過ぎると、お笑いの幅が狭まってしまう。さらに彼には悩みも。「僕がクズと呼ばれて笑いをとっていることが、どこかで“いじめ”に繋がっているかもしれない」という危惧だ。
「いじりといじめの違いは、いじりは笑いにつながって、いじられる方もうれしいこと。一方でいじめはとにかく相手が嫌な思いをする。大人なら理解できるかもしれませんが、子どもにその違いを分かれというのも、いじられたら笑いで返せというのも難しい。芸人のギャグを真似したくなる気持ちも分かります。でも、芸人仲間から “品行方正、誰も傷つけない笑いばかりのこの世の中ではお笑いが終わる”と危惧する声も聞こえます。すごく難しい問題ですよね…」