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力の抜けた“日常感”…伝説の深夜番組『DAISUKI!』の功績 終了から22年、いまだ”待望論“が出る理由

いまだ待望論が出る『DAISUKI!』のレギュラーだった(写真左から)飯島直子、中山秀征、松本明子 (C)ORICON NewS inc.

いまだ待望論が出る『DAISUKI!』のレギュラーだった(写真左から)飯島直子、中山秀征、松本明子 (C)ORICON NewS inc.

 先月25日に放送されたBSテレ東の旅番組『バブるるぶ旅行社〜バブル時代の人気観光地に30年前のるるぶを持って行ってみた〜』。同番組に出演する中山秀征が、インスタグラムで松本明子と共演したことを報告すると、フォロワーから「DAISUKI! やんのかと思った」「お願いです。DAISUKI! またやって下さい」「懐かしいコンビ… ここに飯島直子ちゃんも居たらなぁ〜」などのコメントが上がった。中山秀征、飯島直子、松本明子が出演し、1990年代に絶大な人気を誇った”伝説の深夜番組”『DAISUKI!』は、なぜ放送終了から20年以上経過した今なお、待望論が出るのだろうか? その魅力と、同番組が現代に残した功績を考察していこう。

現在の“街ブラ”の礎に…深夜ならではのゆるさから生まれた“日常感”ある企画

 日本テレビ系深夜バラエティーとして1991年にスタートした『DAISUKI!』は、“深夜番組ならでは”のゆるい“日常感”たっぷりな企画を軸に展開。週間視聴率ランキングの深夜番組部門で1位の常連となっていく。

 視聴者を魅了した企画のなかでも、『DAISUKI!』の代名詞ともいえるのが、なりゆきでロケを敢行する“街ブラ”だ。今ほど“街ブラ”が浸透しておらず、事前にアポを取り取材場所を決めてロケを行うことが多かった当時。予定調和ではない地域の人々や店員との絡みから生まれるハプニングなど、“行き当たりばったり感”や“あそびの多さ”は、珍しさや斬新さがあり、番組のアイデンティティに。後年松本が語ったところによると「(台本に)地図しか載っていなかった回もある」そう。これらが“街ブラ”系番組の礎となり、現代まで受け継がれている。

 また“街ブラ”以外にも、約10年間の放送で挑んださまざまな企画は、現代のバラエティーにまで繋がっている。例えば、90年代、深夜番組として乱立する「パチンコ」を企画としてやったのは同番組がはしり。また、令和の今もゴールデンの人気の企画にもなっている「宝くじ」もいち早く実施。当選番号を一つずつあけ、視聴者をドキドキ、ワクワク、ハラハラさせる手法で盛り上げ、番組内で200万円の高額当選を果たすなど予想外の展開も。これら以外にも新生活が始まる春先に行われていた「物件探し」や、「買い物」「人間ドック」「酒を飲んでトーク」など、今も同じフォーマットをさまざまな番組で見かける。

 ここに挙げたように同番組の企画は、一般人の日常となじみが深いことばかり。作りこんだコントで笑いを取るいわゆる“テレビ的”な発想が全盛時代だったからこそ、その逆手をついた“日常感”たっぷりなゆるいフォーマットが、土曜深夜にピッタリはまったといえるだろう。

当時斬新だった“男女の友情”を軸にした3人の関係性

 『DAISUKI!』が、今も語られる要因、それは企画以外にも考えられる。細かいところで言うと、篠原涼子、辺見えみり、仲間由紀恵などを輩出したCM前の「アイキャッチ」の斬新さや、当時発売から15年ほど経過していた、シュガー・ベイブの『SHOW』をオープニングテーマに起用し、その洗練された都会的なメロディーで、他の深夜番組とは異なるポップな番組のテイストを表したことなども挙げられるが、一番は中山秀征、飯島直子、松本明子というレギュラーキャストのキャラクターと3人の関係性だろう。

 番組開始の翌年からレギュラーとなった中山秀征は、同番組独特の“ゆるい”フォーマットと抜群に相性が良く、MCとしての才能が開花。軽く、ゆるいノリと、共演の松本と飯島の魅力を引き出す軽妙なトークは、番組の方向性と見事にマッチし、人気を博していく。

 番組出演当初はまだブレーク前夜だった飯島は、その美貌の一方で気取りなく、中山・松本も予測不能な発言を連発するその“天然”ぶりが話題になるほどに。収録中に「つまらない」と発言したり、時に中山に抱きついたりと、テレビを意識しないその言動に、後年、中山は「直ちゃんには、“等身大”のままテレビに出ることを教わった。我々はつい(テレビだと)やり過ぎてしまう」とコメント。この“自然体”の姿が“日常感”あるゆるい企画と相まって親近感を生み、後に“癒やしの女王”としてブレークへと繋がっていった。

 もう一人のマドンナ・松本は、アイドルからバラドルへと転向し同番組のレギュラーに。デビュー当時から事務所の同じ寮で生活を共にし、友人として信頼のおける関係だった中山とのあ・うんの呼吸に加え、ボケながらも視野が広く、気配りができるしっかり者として、中山・飯島はもちろん、番組内で出会った素人たちをもフォロー。バラドルとしての実力を開花させた。

 ここで重要なのが、3人の絶妙な関係性だ。当時は今と異なり“男女の友情”という概念が希薄な時代。若い男女が仲良さそうに番組に出ていると、恋愛関係を邪推してしまうような時代に、中山を中心に両サイドの松本と飯島が、腕を組んだり手をつないだりしての“街ブラ”には、視聴者から「微笑ましい」「うらやましい」などの声があがり、世の中に新しい風を送り込んだ。

 番組終了後も定期的に会っているという3人の変わらぬ友情と信頼関係は、2017年、中山がMCを務める『シューイチ』(日本テレビ系)内の特別企画「シューイチ版DAISUKI!SP企画」で、約16年ぶりに3人でロケを敢行した時のコメントからも読み取れる。

「25歳で始まった『DAISUKI!』から25年。松本さんも飯島直ちゃんも、いい意味でまったく変わらず、当時のままの空気感を自然に出すことができました」(中山)
「『DAISUKI!』以来、久しぶりに3人でロケができてうれしかったし、本当に楽しかったです! 20年経ってもみんな20代の頃にすぐ戻りますね!」(松本)
「ずーっと50歳になったら、また3人でって言ってたんです。何年経っても変わらない、ヒデちゃん、松本さん。最高に幸せな一日でした」(飯島)

 お互いに遠慮なくツッコミ合い、フォローし合える。メインキャスト3人の“男女の友情”を軸にした関係性は、”日常感”のある企画との相乗効果で、テレビ番組に新しい価値観を生んだといえよう。

“日常感”を確立した『DAISUKI!』風フォーマット…90年代の“異質”から現代では“鉄板”に

 ではなぜ『DAISUKI』は、終了から20年以上経過した今なお語り継がれ、“待望論”がでるほどの人気なのだろうか? 『DAISUKI!』がスタートした1991年当時、バラエティーといえば、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(87年〜)、『とんねるずのみなさんのおかげです』(88年〜)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(90年〜)、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(91年〜)などが圧倒的な人気を誇るお笑い全盛期。潤沢な製作費を惜しげもなく投入し、コントを中心とする、“スタジオで緻密に計算された笑い”が良しとされ、ゴールデンを席巻していた。

 “日常感”を武器に、レギュラーキャスト、ゲスト共に等身大の姿を現したロケ中心の『DAISUKI!』や、軽妙なタッチでMCを務める中山は、それに抗う異質な存在として批判も浴びた。後年中山が、人気コラムニストだった故ナンシー関に「『ゆるいバラエティー番組を作った男』とボロクソに言われた」と語るように、その風当たりは強かったといえる。

 だが、同番組のメイン視聴者層である若者は、従来バラエティーとは異なる新しい時代性を見いだし、その存在を受け入れていく。やがて、一世を風靡した作りこまれたコント番組は、制作費と視聴率の兼ね合いもあり、次々と姿を消し、現代に残っているものは、そのDNAを受け継いだごくわずか。あれだけ一世を風靡し、テレビ史に確かな足跡を残した番組も、今全く同じ形で放送されているものはなくなっている。

 一方『DAISUKI!』が作り出した自由度の高いフォーマットは、出演者のキャラをうまく引き立て、等身大の姿を描く。“街ブラ”をはじめとした現代のバラエティーの礎であり、“鉄板”コンテンツとして、受け継がれている。既存の価値観にとらわれず、新しい文化を生み出そうとしたことこそ『DAISUKI!』が現代に残した最大の功績であり、いまだ“待望論”が語られる要因と言えるのではないだろうか。

文/河上いつ子

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