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大谷選手がつないだ命…心臓病と闘った“翔平ちゃん”、子どもたちを救うため母が願うこと「ドナー登録のイメージが変われば」
残された道はアメリカでの心臓移植、翔平ちゃんと母の元に届いた知らせ
「しょうへいくんを救う会」が発足したのは、2018年9月だった。同会は、募金活動の傍ら、新聞社を通じて大谷選手にビデオレターを送り、翔平ちゃんのことを伝えた。ちょうど日本に帰国していた大谷選手からの返事は、「お見舞いに行きます」。年が明けた2019年1月5日、大谷翔平選手と翔平ちゃんは対面することとなった。
大谷選手とのコンタクトを思いついたときは、「頑張ってね」というメッセージを一言送ってくれるだけでも家族の励みになると思っていたという翔平ちゃんの母・川崎静葉さん。
「日本にいる時間も短く、とてもお忙しい方。スケジュールを調整するのも大変でしょうに、2018年12月に『会いに行きます』というお言葉をいただいたときは、まさかと思いました。実際お会いする日まで、『これは夢なんだ』と何度も思いました」
大谷選手のあたたかい抱っこ、大きな反響集めるも願いは叶わず…
熱心に翔平ちゃんのことを尋ねてくれる気遣いを感じた静葉さんは、病気のために両親以外が抱くことが難しかった翔平ちゃんを「抱っこしてくれませんか」とお願いしたという。「大谷選手に抱っこされると、翔平がとてもリラックスした表情を浮かべているのがわかりました。大谷選手は緊張しながらも、しっかり抱っこしてくださって。とても可愛らしいというか、誠実な方だなと感じました」。
翔平ちゃんの体力も考え、対面時間は1時間弱。そんななか静葉さんは「まさか自分の息子の名前の由来になった方と会えるなんて…。本当に幸せで恵まれたこと」と感激したという。
スーパースターの訪問だけでも、大きな力を得ることができた翔平ちゃんとご両親。しかし、さらに大きなことを大谷選手はもたらしてくれた。このニュースは大きく報道され、思うように集まらなかった募金が、大谷選手の訪問後19日で目標金額に達したのだ。
「本当に反響が大きかったです。街頭で募金をお願いしていても、とても多くの方に激励の声をかけていただきました。大谷選手のことはもちろんなのですが、『翔平くん頑張ってね』という声もいただき、本当に大きな力なんだなと実感しました」。
募金も集まり、いざ渡米という段階になったが、翔平ちゃんの補助人工心臓を安定して動かせる電源を備えた飛行機が限られているということがネックになり、なかなか渡航が決まらなかった。そして、ついに翔平ちゃんの容態が急変。両親をはじめ、多くの人々の願いは届かず、翔平ちゃんはこの世を去ってしまった。2019年3月のことだった。