『学校へ行こう!』でブレイクした軟式globe・パークマンサー、今も畑で「そうだよアホだよ」歌うワケ

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 かつて『学校へ行こう!』(TBS系)の人気コーナーで、軟式globeとして「そうだよアホだよ♪」のネタで注目を浴びたパークマンサー。番組引退後は『TRICK』や『リッチマン、プアウーマン』などのドラマ出演も果たし、10年以上俳優として活動。しかし現在は地元で野菜づくりに励み、畑から「そうだよアホだよ」の歌を動画配信している。一時期は「パークマンサーという存在が大嫌いだった」というが、再びこのネタを始めた理由とは。

HIROからの一言がきっかけで開いたバラエティへの道「1回で終わろうと思っていた」

――『学校へ行こう!』出演前から芸能界にはご興味があったのでしょうか?

パークマンサー元々ダンサーとして活動していて、僕の師匠がEXILEのHIROさんの弟分だったんです。その流れで師匠たちが立ち上げた芸能事務所に入って、気づいたら周りに芸能人や売れている人たちがいる環境にいました。一度飲みの場で、僕の師匠のモノマネをで全力でやったら、HIROさんがゲラゲラ笑ってすんげえ面白いじゃんって。そこから面白いダンスをしたりして人を笑わせるのが自分の生きる道だって思って、バラエティのオーディションを受けてみるようになりました。

――『学校へ行こう!』のオーディションでの様子は覚えていますか?

パークマンサー師匠のダンススクールの生徒だった初代KOIKEとコンビでオーディションを受けて、そしたらちょうど男女2人を探してたっていう。その時はそういう強運が重なって、なんかもう全部がイケイケだったんです。1日でもうお前らでいこうってなって、こんなスピード感で何かが決まるんだって衝撃的でしたね。

――初めて『学校へ行こう!』に出演された時はどうでしたか?

パークマンサースタジオでネタをやってみて、盛り上がらなかったら1回で終わろうって言われてたんですけど、まぁV6が椅子から飛び降りるくらいまでに笑ってくれて。番組に出た次の日は普通に街歩けなかったですね。電車でバイトに通ってたんですけど、約7分の間に中学生に気づかれて、満員電車の中で「あれ、絶対あれだよ。絶対パークだよ」って言われたりしていました。

――当時はどのように撮影に臨まれていたのでしょうか?

パークマンサー僕は前日にTBSに泊まって朝方5時くらいまで、あーでもないこーでもないって議論して、なんとなくネタ…あ!リリックが出来たら(笑)が出来たらカプセルホテルで覚えて翌日撮影っていう繰り返しでした。だいたい番組放送後すぐに次の撮影だったので「あ、こんなウケ方したんだ」って確認して、反省は次に活かすっていう感じでした。

『そうだよアホだよ』ヒットの裏にあった葛藤「あとは落ちていくだけだと分かった」

――一気に知名度が上がって、どんな心境でしたか?

パークマンサー最初に出てから3ヵ月で限りなくMAXまで行った感覚がありました。僕らが出ると瞬間視聴率が5%動いた時もあったそうで、お茶の間のリアクションまで想像ついたりして。でも「5歳まで馬に育てられた 半分馬だよアホだよ♪」っていう、大爆笑が起きたネタが出てしまった後はそこからもう落ちるしかないって分かっちゃって。後半は正直変な激しい動きでごまかしている部分もあったし。もうそろそろ辞めたいなって思ってた時に、globeの小室さんとKEIKOさんがご結婚されて、結婚式に乱入するっていうひとつ大きなタイミングができたんです。その様子がクリスマス2時間スペシャル番組になって、それが「アホだな〜♪」の最後でした。激動の半年でしたね。

――披露宴ではマークパンサーさんもいらっしゃいましたよね。

パークマンサーその時初めてお会いして、「カッコイイと思ってたんすよ。なんか一緒にカッコイイことやりたいっすね」って言っていただけて。数年前に再会して、フランスのお家にも遊びに行ったりイベントでも共演したりしました。そして、遂には今月マークさんの娘さんが『2.5代目KOIKE』に就任することになって、18年越しの約束を果たせたかなと思っています。

――『学校へ行こう!』引退後はどのような心境でしたか。

パークマンサー辞められたのは正直嬉しかったです。当時は、辞めても「元パークマンサー」を使えば何とかなると思ってたんですよね。芝居をしたとしても「あの役者パークマンサーだったんだ」ってなればスコーンと売れると思ってたんですけど、まぁ甘かった(笑)。そこからうだつの上がらない役者生活が十何年始まるわけです。

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