(更新:)
ORICON NEWS
武田真治、引きこもりに引退決意も…紆余曲折経ての30年「40代は楽しいという所ジョージさんの言葉に助けられた」
中性的な魅力の“フェミ男”は偶然の産物…体力的にサックスが吹けない時期も
武田真治 あの頃は本当に休みがなくて、しかも給料も安く、ご飯もまともに食べれない状況。でも現場に行けば弁当があるから、休みがありがたいわけでもない。働き詰めで苦行のような日々でしたね。それでどんどん痩せてしまって…。
──武田さんが着ていた「チビT」も大流行しましたが、あれは自己プロデュースだったんですか?
武田真治 新人芸能人にスタイリストさんがいない時代でしたから、自己プロデュースも何もただの私服ですよね。服を買うお金もなかったから。当時、SUPER LOVERSというブランドでデザインと販売をやっていたDJ DRAGONが、「お前いつも同じ服着てるから」ってくれたものだったんです。女性モノの売れ残り(笑)それが珍しかったのか、それでますます注目されちゃって、でも「フェミ男」は健康には良くなかったですね(苦笑)。
──体を鍛えるようになったのは、まさにその頃に顎関節症を患ったのがきっかけだったとか。
武田真治 原因はいろいろあったと思うけれど、やっぱりストレスですよね。奥歯を噛みしめる癖が付いて、顎の関節を悪化させてしまって。顎が開閉できなきゃ、ご飯もたべるのが難しくなり、さらに痩せ細って、体力的にもサックスが吹けない状況になりました。
──20代後半で北海道の実家にひきこもって、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の時だけ上京。一時は芸能界引退まで考えたとか。
武田真治 心身ともに疲れ果てていましたね。あのとき忌野清志郎さんにバンドに誘っていただけなかったら、今の僕はなかったと思います。でも、あの頃のことは、もう後悔しないと決めました。あの時、病気にならなかったら、今はきっと体をここまでは鍛えていないだろうし、この年齢でこれだけアグレッシブなサックスを吹けることもなかったでしょう。