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『としまえん』設立当初は“娯楽”ではなく“心身鍛錬の場”だった コロナ禍での閉園に語り部「歯がゆいが、最後まで笑顔で」

思い出は永遠、『としまえん』を語り継いでもらえたら

 6月12日、西武鉄道は『としまえん』の閉園が正式に発表。8月に入り閉園へのカウントダウンが始まると来園者が殺到し、閉園を惜しむ声も数多く聞かれた。だがこれは昨日今日決まった話ではない。1957年、『としまえん』を中心とする一帯エリアは都市計画法のもと「都市計画公園」の指定を受けたときから決まっていたことだった。
「これによって、東京都が段階的にこの一帯の土地を購入していくことになっていました。ところがこれも時代と言うべきか、何十年もの間その計画が忘れられたようになっていたんですね」

 計画が一気に動き出したのは2011年。東日本大震災により、都民の避難場所や防災拠点となる公園・緑地の整備促進が急務となったのがその契機だった。当時の石原慎太郎都知事が「今後10年以内に整備に着手する」と発表。その10年目にあたるのが今年だったというわけだ。
「社内では昨年秋頃より、たくさんの方と一緒にお別れができるように準備を進めてきました。その矢先のコロナ禍で、正直申しまして歯がゆいところもあります。だけど泣いて終わるんじゃ遊園地マンじゃないのでね、最後まで笑顔でたくさんの方と触れ合っていきたいと思っています」
 閉園までのカウントダウンイベントとして、「94年の歴史展」でガイドを務めてきた内田氏。近頃は3世代、4世代にわたる来園者も多く、案内中に涙を流す人もいる。
「遊園地でもなんでも、形のあるものを永遠に残すのは不可能です。だけど思い出は永遠なんです。一度でも『としまえん』で遊んだことがある方には、『どうか練馬のこの場所にこんな遊園地があったんだよ』ということをお子さんやお孫さんに語り継いでいってくれたら、これほど遊園地マン冥利に尽きることはありません。入場制限のため、ご来場いただけなかった方にも、『としまえん』らしい最後の感謝をお伝えするご用意をしていますので、楽しみにしていてください」

文/児玉澄子

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