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【CYBERJAPAN DANCERS】「減量してください…」マネージャーのひと言で5キロ減量の美女「太ってイベント出演できないことも」
母の進めで、沖縄アクターズスクールで歌とダンスに励んだ小・中学生時代
JURI 沖縄から上京した当時、たまたまクラブに貼ってあったポスターでCYBERJAPAN DANCERSのことを知りました。当時は現在のイメージと違い、とてもクールな印象でした。そのポスターを見て、加入したいと思うようになりました。それから3年が経ち、アルバイトをしていた飲食店の上司に夢について語った際に、偶然にもその上司が元CYBERJAPAN DANCERSのメンバーだったことを知りました。その後、社長のMITOMI TOKOTOさんとの面談を進めてくれました。それが10年前のことです。
――平日は事務員として働いていたとのことですが、どのようなお仕事をしていたのでしょうか?
JURI CYBERJAPAN DANCERSの活動と並行して約5年間、不動産会社の事務として働いていました。でも現在は退職しています。
――JURIさんは、小・中学生時代は、沖縄アクターズスクールに通って歌とダンスのレッスンに打ち込む日々を送っていたとのことですが、子どもの頃から芸能界への憧れがあったのでしょうか?
JURI 芸能界への憧れはあまりなかったです。アクターズスクールに通っていた頃は、歌やダンスの楽しさにのめり込んでいた感じでした。
――では、沖縄アクターズスクールに通ったきっかけは?
JURI きっかけは、「ダンスをやってみたら?」という母のひと言でした。子どもの頃は、水泳、バトントワリング、書道、ピアノ、そろばんなど、いろいろな習いごとに通わせてくれました。そのひとつとして違うジャンルのものを薦めてくれたのだと思います。沖縄アクターズスクールは、安室奈美恵さんやMAX、SPEEDなどさまざまなアーティストが輩出されていたこともあり、歌やダンスへの興味は少なからずありました。
――そうした経験も今の活動に生きているかと思いますが、CYBERJAPAN DANCERSに加入して嬉しかったことはありますか?
JURI 一番嬉しかったのは地元沖縄で開催されたビキニナイトに出演したことです。たくさんの友達がうちわを作って応援に来てくれました。私のステージを見て友達が喜んでいる姿を見た時、鳥肌が立つほど感動しました。「地元で踊りたい!」と長年思い続けていたので、夢が叶って本当に嬉しかったです。