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本上まなみに見える…かわいすぎる塚地武雅の“お母さん感”に見る圧倒的な憑依芸
劇中で「腐れ肉まん」と罵倒される場面もあるなか、交わらなそうな本上まなみとシンクロする錯覚も
「人は見た目か、中身か!?」という究極の命題を、「亡き美人妻→おっさん」というドラマならではの究極のシチュエーションで問うホームコメディ。見た目というセンシティブなテーマに切り込んでいるだけに、一歩キャスティングを間違えれば批判の対象にもなりかねない作品でもある。
その絶妙なさじ加減を演じられる存在として白羽の矢が立った塚地に、SNSでは「塚地さんの演技力がすごい。清潔感と仕草と表情と圧倒的なお母さん感」と絶賛の声が上がっている。特に目立つのが「夫の吾郎さんを愛おしそうに見つめる表情」や「家族のために家事をかいがいしくする姿」などが「可愛い」という評価だ。「吾郎さんと抱き合っている姿にキュンとしてしまった」「所作が完全に女性。きっと多才で努力家なんだと思う」「むちゃくちゃ可愛くて、しっかりおっさん」という声からも、見た目以上にその芝居の力で「可愛い評価」を勝ち得ていることがわかる。
さらには「塚地さんがだんだん(生前の妻役の)本上まなみに見えてくる不思議」とのコメントも。本上まなみといえば、癒し系美人女優の代表格。対して塚地は本作の劇中で「腐れ肉まん」と罵倒されるシーンもあったように、決してイケメンではないぽっちゃりおじさん。その交わらなそうな2人がシンクロする錯覚まで起こさせるその演技力に、「恐るべし、塚地」と評価がうなぎのぼりだ。
“憑依芸人”の異名を持つ塚地は、裸の大将からサイコパスまでバラエティに富んだ役を好演
一方、俳優デビュー当初はお笑い芸人としての側面や人の良さそうな見た目を生かした役をあてられることが多かったが、ドラマ『仔犬のワルツ』(2004年/日本テレビ系)で悪役に初挑戦。金のためなら手段をいとわない男を憎々しく演じ、見た目やイメージに縛られない演技力の高さを見せつけた。さらに映画『間宮兄弟』(2006年)では佐々木蔵之介とのW主演に抜擢。味のある芝居でほのぼのとした兄弟愛を演じきり、『毎日映画コンクール』、『ブルーリボン賞』、『キネマ旬報』で新人賞の三冠に輝いた。同作で確かな爪痕を残した後にはキャスティングの引きも切らず、主演にも続々抜擢。
ハマり役の1つと言えば、昭和の喜劇役者・芦屋雁之助さんから引き継いだ『裸の大将 21世紀版』(フジテレビ系)を思い起こす人もいるだろう。その朴訥とした風采も相まって放浪の画家・山下清が乗り移ったかのような芝居が話題を呼び、4作を重ねる人気シリーズとなった。
そのたしかな演技力で幅広い人物を演じてきた塚地だが、『パパがも一度恋をした』では性別を超えた役どころを好演をしている。これまでコントでは「彼女のオカン」や「キャビンアテンダント」といった女性を演じることも多い塚地だが、衣装やメイクも含めてそのキャラクターを強調し、笑いを呼ぶのがコントの常套手段だ。しかし本作での塚地のいでたちは、グレーのジャージやベストにスラックスといったザ・おっさんコーデ。その格好のままで“美人妻”を演じ、さらには感動の域にまで誘っている本作は、塚地がまさに“見た目”ではなく“中身”の芝居で惹きつけることができる俳優であることを証明する1作となった。
社会派ドラマの乱立で“視聴疲れ”も…気軽に観られる本作への待望論
2016年にスタートした「オトナの土ドラ」シリーズは余暇を楽しむ大人のために贈る本格派ドラマシリーズ枠として誕生。「夜はオトナのための“人間ドラマ”を楽しんでほしい」という制作サイドの思いから、続きが気になるサスペンスやハートフルな人情ものなどが放送されてきた。『パパがも一度恋をした』は24作目にして初のコメディだが、同枠のコンセプトをしっかりと踏襲した意欲作だ。
SNSでは「気楽に観られて、土曜の夜はこんな感じがいい」「次回が楽しみすぎる」といった反響が上がっており、制作サイドの思いがしっかりと届いたことが伺える。またコメディでありつつ、その根幹には家族の絆が丁寧に描かれており、「おもしろくてしかも意外にも泣ける」「めちゃくちゃ感情移入して泣いた」というコメントの通り、テレビドラマの醍醐味である「気軽に観れて笑って泣ける」という楽しみ方を提供している作品として支持されている。
重厚な社会派ドラマも見応えがあっていいが、乱立してはさすがに食傷してしまうはず。そうした傾向にあるなかで、一服の清涼剤として視聴者の心を癒している。そしてその重要な役回りを担っているのが、本作屈指の癒しの存在である俳優・塚地武雅であることは言うまでもない。
本作で改めてその演技力の高さを証明したのと同時に、コメディエンヌとしてのポジションも獲得した塚地。しかしコントで変幻自在なキャラクターを演じてきたことからわかるように、その役の振り幅は底知れぬものがある。“見た目ではなく中身”で芝居ができる俳優だけに、そのルックスをさらに覆すような役に挑んでもらいたい。
(文/児玉澄子)