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米津玄師に見る現代の“カリスマの条件”、マスとコアを行き来する絶妙なバランス感覚

音楽評論家・富澤一誠氏「ニュータイプに見えるが、実は“本流”」

 音楽評論家の富澤一誠氏は、「吉田拓郎をはじめとする昔のフォークシンガーはテレビ出演を拒否して、ライブ、ラジオ、活字でファンを広げていった。米津玄師はさらに、既存のメディアではなく、動画配信サイトを活用するスタイルをとった。作詞・作曲をして自分で歌い、配信もやり、ビジュアル的なプロデュースまで自分でやってしまう。その意味ではニュータイプのアーティストのようにも見えるが、80年代・90年代のロックやポップスのサウンド志向・リズム志向とは反対に歌詞がよく聞こえてくる。その意味では、70年代のフォークシーンに吉田拓郎や井上陽水が出てきた時のような、シンガー・ソングライターの“本流”にあるアーティストだと思う」と分析する。

 吉田拓郎は「自分たちの手で作品を送り出したい」とし、ミュージシャンによるレコード会社フォーライフ・レコード(現・フォーライフミュージックエンタテイメント)を設立した。米津玄師はメジャーレーベルに所属してはいるものの、自らのレーベルREISSUE RECORDSの中で制約や束縛に流されることなく創作に励んでいる。そこには「自分がやりたい音楽をやる」という信念が存在している。

マスとコア、それぞれに訴えかけてこそのカリスマ

 エンタテインメント黎明期であった昭和と、楽しみ方が細分化した現在。まったく異なる時代背景でも、共通するカリスマの条件とは何か? それは、マスとコアそれぞれに訴えかけ、時代をけん引することだろう。大衆に響き、ファンに熱狂的に求められてこそのカリスマである。

 多くの人が吉田拓郎を「J-POPの原点」だと評す。それまでの“慣例”に抗い、独自のスタイルをしっかりと保持し、新しい音楽を築き上げ、そこから次世代のカルチャーを生み出していった功績は、日本の音楽界を振り返れば明らかである。

 「J-POPを作りたい」と言った米津玄師は、もはや一つのジャンルで説明できるアーティストではなくなりつつある。吉田拓郎が、フォーク云々ではなく「吉田拓郎」という名称ですべてを表現できたように、米津玄師もまた「米津玄師」という唯一無二の音楽表現の使者としての道を突き進んでいくことだろう。

(文:田井裕規)

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