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世の不条理をロリータうさぎが斬る、 SNSアカうさぎのみみちゃんに聞く“好きなことを貫く意義”
「ロリータ服を着ていても着ていなくても、“同じ土俵”で生きているんだぞ」
――Twitterをはじめたきっかけを教えてください。
うさぎのみみちゃんロリータ服を着た女の思想や生き方がどういうものなのか、知りたい人もいるのではないかと思ったんです。みんながそうではないけど、ロリータといえば「頭ん中お花畑」とか「お菓子食べて生きてるんでしょ」といった偏見を持たれがちです。ロリータのカリスマ・青木美沙子さんもおっしゃっていましたが、私たちと話すとき人は一気に偏差値を落とした言葉を投げかけてくる。「軽んじていい存在」だと思われるのかもしれません。私たちはただ、服装がみんなとは違うというだけ。「好きな服が派手だっただけで、同じように難しいことをだって考えるし、同じ土俵で生きているんだぞ」と。
――Twitterに投稿する際のルールなどは決めていますか?
うさぎのみみちゃんTwitterは毎日1枚更新、noteのエッセイも毎週1枚更新とルールを課しています。基本がものぐさだから、1回でもサボったらすぐやらなくなりそうで (笑)。内容は「思ったことを描く」ということを念頭に置いています。初めは「あの時はこう言ったから、矛盾しないように描かなきゃ」「自分を棚上げしちゃダメ」と思っていたのですが、矛盾した思想を持たない人間、棚上げしない人間なんていないと気づいて。時が経てば考え方だって変わるのは当たり前、その矛盾したりブレたりする考えの中で、“自分を神棚に上げながら”「私の生き方/考え方」を見つけられればいいかなと思っています。
いい子を演じていた学生時代。好きなものを好きと主張できなかった
――小さい頃はどんなお子さんだったのでしょうか?
うさぎのみみちゃん「普通だね」って言われる私を演じていましたね。小学校の頃、転校して「スカートを履いている」という理由でいじめを受けたんです。その時に初めて「私の普通ってこの場所の異端なんだ」と感じて。それでも小学校はある程度自由だったのでマイペースに過ごしていたんです。でも中学生になったら通用しなくなった。「ここで輪から外れたら、小学生の時よりもずっと苦しいかもしれない」と思い、演じ始めたのはこの頃からです。”演じる”なんてカッコいい言葉を使いましたが、結局は周りに合わせていただけ。大して好きじゃないものを「好き」と言い、校則を守る”いい子”をしていた。そんな中学生の頃もじつはずーっとロリータ服が好きでした。でも「ロリータ服が好き」とは言えませんでしたね。好きなものを否定されるのが怖かったんです。
――会社とプライベートでの服装はどのように使い分けていますか?
うさぎのみみちゃん会社では雑巾みたいな服を着ています(笑)。”雑巾みたいな”と比喩すると「普通の服を雑巾って言うのか!最低!」と怒られちゃうんですけど。違うの、ほんと雑巾みたいな服なの(笑)。伸びたシャツとか糸が出てるスカートとか。もちろん、着たくて着てるわけではなく、必要に迫られてというか……。とにかく、仕事とプライベートをわけるのは、やっぱり”見た目”なんです。仕事に合った服装、見た目があって私ももれなくそれに縛られている。だから「この服を着た私は仕事の私」「この服を着た私は私の好きな私」というように気持ちの面で分けて考えています。
――会社の同僚など周囲から、服装について何か言われたらどう対処されていますか?
うさぎのみみちゃんみんな私を”強い女”だって言いますが、本質はそんなんじゃない。だから実際に同僚や学生時代の友人たちにヘイトされた時は、何にも言えないんです。混乱しちゃって「え、えへ」って笑って話題が過ぎ去るのを待つしかできない。あとで腹が立ってきて「あの時ああ言えば良かったのに〜〜」と後悔ばっかりですよ。
選択するのは自分自身「“自他の境界線”を守りながら意見を提示していきたい」
うさぎのみみちゃんシンプルに、好きを貫く難しさに改めて気付かされました。好きなものって1つではないですよね。私の場合はそれが仕事と服です。仕事も服も、全力で楽しみたいけど、ロリータ服で仕事をすることができない。だからどちらかのパーセンテージを減らすしかないんです。我儘とか常識がないとか、頭ではわかっているし簡単に言えますが、両方の”好き”を自分の納得できるかたちで貫くことはとても難しいことなんです。
――SNSでは今後どのようなことを発信していきたいですか?
うさぎのみみちゃん世の中では「若いんだから」「女なんだから」と主語を大きくして他人を非難しがちです。ロリータ服を好む人たちでさえ「ロリータ服を着ているんだからこうしなきゃダメ」と縛って、私自身もその言葉で他人を傷つけてしまうことがあります。カテゴライズされることに嫌悪感を抱きつつ、無意識に他人をカテゴライズしてしまっている。でも自分が納得できるなら「私は好き」と言えばいいし、納得できないなら「私は嫌」と言えばいい。他人からの抑圧に苦しむことも、自分の中の矛盾に悩むことも人間なんだからたくさんあります。でも「苦しみ悩んだときに何を選択するか」は自分自身だし、その選択は自分が納得していればそれでいい。これからも私は『自他の境界線』をでかでかと引いて、自分勝手に自分の意見を提示していきたいです。
(文:齋藤倫子)