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稲垣吾郎が見出した“人生の分岐点”、「すべてを手放して」実感したものとは?
「2年前に仕事をする環境が変わって、『人生の分岐点ってあるんだな』と思った」
稲垣吾郎 いや、2017年の秋にお会いしたのが最初です。監督からいくつか作品の候補を提示していただいたんですが、僕の意思云々というより、その時は普通に雑談をしただけでした。多分、その会話の中で何かしらのヒントを汲み取っていただけたんじゃないかなと、僕は思っています。映画監督って、イメージの中に人を当てはめるのではなくて、独自の嗅覚で、俳優自身も気づいていない本質的な何かを見抜くわけですから、それはすごい才能ですし、ある意味では怖くもありますね(笑)。
――台本を読まれた時は、どんな印象を持たれましたか?
稲垣吾郎 最初に読んだときは、この作品が持つ深みについて、そこまでピンとは来てなかったです。間とか行間を大切にして、そこから何かを汲み取っていくような台本だったので、書かれている情報量としてはすごく少なくて。僕も、実際に現場に入って、高村絋という男の言葉をこの肉体を通して発するまでは、作品の世界観を理解するまでには至っていなかったと思います。台本は監督の書き下ろしですし、すごく強い思いが込められている。でも、特に何かすごくドラマティックなことが起こるわけじゃないし、ストーリーに大きなうねりもないから、「こういう映画です」と説明するのが難しい(苦笑)。そこがこの作品の味わいなのかなと思います。
――映画の資料には、やはり阪本監督の言葉で「小さな世界の物語だけれど、そこに日本映画らしさを感じてもらえれば」とあります。
稲垣吾郎 ここに描かれている世界は、日本の原風景の一つなんでしょうね。こういう小さな世界が集まって、今の日本ができている。僕は東京に生まれ育って、芸能界に身を置いて、絋とは似ても似つかない人生を送ってきたわけですが、演じてみて、「39歳のリアルってこういうものなのかもしれないな」と思いました。僕自身、39歳の時は「今が人生折り返し地点だ」なんてこれっぽっちも思っていなかった。でも、2年前に仕事をする環境が変わって、新しい活動を始めた時に、「人生の分岐点ってあるんだな」と思った。「今のままでいいのか」「これから先、どう生きるべきか」と悩むのは、この映画の登場人物たちと通じるものがあった。
「42歳ぐらいの時に、やり尽くしてしまったのかなとも思ったことがあった」
稲垣吾郎 まさにそうです。僕も42歳ぐらいの時に、いろんなことをやり尽くしてしまったのかなとも思ったことがあった。ずっと恵まれた環境にいて、いろんな人に会えて、いろんな景色を見せていただくことができた。色々と多岐にわたって活動していたので、できることは、やり尽くしちゃったのかなぁと思っていた自分がいて…。でも、すべてを一度手放してみると、実はまだまだやってないことがたくさんあるんだなぁって…。初心に戻ったような感覚がありました。
――なるほど。
稲垣吾郎 でも、誰でもそうなんじゃないかな。やり尽くした人なんて、いないんじゃないかなと思います。特に、絋という男を演じてわかったのは、生きている限り、道は続くっていうこと。誰にとっても仕事や友情や住む家や家族や…自分の“今”を支える不可欠な要素があって、何かがきっかけでそのいくつもある関係性の中から1本を断ち切ったとしても、自分の歩む道は変わらず続いていくんです。だから、すごくいいタイミングでそのことに気づかせてもらえる映画と出会えた気がしています。まぁ、僕の場合は仕事の環境は変わっても、人生のステージは特に変わってなくて、父になったわけでも、人の夫になったわけでもない。職業を変えたわけでもない。ただ会社が変わっただけなんですけどね(笑)。
「お客さんが、僕のドキュメンタリーを重ねてしまうことは仕方がないこと」
稲垣吾郎 僕も、3年で人ってこんなに変わるんだなぁって実感はありますよ(笑)。でも俳優だから、演じることが仕事なのでね。観てくださるお客さんが、そこに僕のドキュメンタリーを重ねてしまうことは仕方がないことだし、そこは自由に観てもらっていいと思います。
――『半世界』の高村絋のようなごく普通の市井の人と、“天才”ベートーベン。真逆の役なのに、どちらも説得力がありました。特に舞台で、ベートーベンの音楽は人を「翻弄し、圧倒し、高揚させる」というセリフがあって、強く印象に残っています。
稲垣吾郎 ベートーベンの人生も、実は40を過ぎてからの方がうねりがあって、50代で物語のサビを迎えるんです。だから3年前よりも、経験と年齢を重ねた今の方が演じやすいというのはあります。