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結成20周年のコブクロ、葛藤もあった道のりとは?「活動休止後は違う人間として再び組んだ」

 今年9月に、結成20周年を迎えたコブクロ。初のコンプリートベストも発売するが、その中には結成当初、路上で歌っていた名曲「桜」のデモテープ音源も収録したという。当時、「今のような未来は考えていなかった」と、彼らは語る。デビュー後、ヒットに恵まれながらも音楽制作に迷った時期、活動を休んだ時期もあった。順調なように見えて、回り道もした20年。路上から始まった2人が手にしたものとは?

路上で歌っていた名曲「桜」、マスターカセットまで「手売りした」かも?

――今年9月で結成20周年イヤーに突入。大阪でのストリートライブや初の『情熱大陸』(TBS系)出演など、盛り上がりを迎えています。
小渕健太郎 思っていたよりも、この大きなヤマを楽しく越えられている気がして。楽しいことが待っているところを駆け抜けているような…10周年のときと全然違うなと思います。

黒田俊介 「20周年なので」と言うと、みんなが何でもやってくれるんです(笑)。今までだったら「スケジュール的に…」と断られていたことも、「20周年だしね」というような。これから、まだ言えない20周年ならではの予定もたくさんあります。

――4枚組の初のコンプリートベストアルバム『ALL TIME BEST 1998-2018』が12月5日に発売。作った順に曲が並んでいるのが珍しいと思いました。
小渕健太郎 そもそも僕ら、曲を作った時系列と実際にリリースするタイミングにかなり違いがあるんです。今回は、作った順のほうが自分たちの気持ちの歴史や、歩んだ道のりが見えるかなと思い、こういう順番にしてみたんです。あと、シングルではないけど、その時々の僕らを表した曲や、コラボレーション曲も入れて。これなら“ALL TIME BEST”と言えるなと思うんですよね。

――4枚目の最後に、大ヒット曲「桜」(2005年発売)の初期のデモテープ音源が入っているのにも驚きました。
小渕健太郎 「桜」はデビュー前、僕らが路上で歌っていた曲。テープのマスターすらなくて、非常に音質は悪いんですけど、ひょろひょろした感じに歴史を感じますよね。

黒田俊介 マスターはどこに行ったんだろう? 当時、マスターっていう概念がなかったので、歌って録ったマスターもカセットとして手売りした可能性があるからね。

小渕健太郎 その頃は必死で作り続けていただけなので。今みたいなこんな未来、当時の僕らの頭の中にはなかったですから! でも今作で、デビューしてからレコーディングの仕方を模索して、プロデューサーがいて、セルフプロデュースになって、当時のバンドは誰々…っていう歴史も順番通りに感じてもらえると思うんです。メジャーデビューから「蕾」(2007年発売)くらいまでの間の、歌いたいことがどんどん小さくか細くなっていっている様子に自分で聴いていても気づきました。そこからやっと抜けて、「蒼く 優しく」(2007年発売)や「Blue Bird」(2011年発売)で、その先に表現したかったことの広さを知ったんですよね。しかも…こうしてタイトルをと並べて見たら、神羅万象というか(笑)。ただ自然界を見つめている俺、みたいな。もっともっと内面のことや、心をえぐるようなタイトルの曲があってもいいのに、黒田と僕でそのとき何を感じているのかってことだけを歌ってきたんですよね。それはきっと、路上ライブから始まった僕らの、“ギターケース一個分の距離にいる人”へ歌ってきたことの証だと思うんです。

さまよいながらも、「世の中が受け入れてくれたときには確信に変わった」

――コブクロとしてどう音楽を作るかに悩んだ時期もあったと思いますが、“自分たちはこれで大丈夫”と思えたのはいつ頃ですか?
小渕健太郎 いろんな方法をさまよいながらもセルフプロデュースになり、わりとすぐに「永遠にともに/Million Films」(2004年発売)を出すことになって。そのレコーディングを終えたときに、二人で相談して頑張って、“自分たちで何か掴めた!”という発見があった。その楽曲に対して世の中が反応してくれたときに、“自分たちは間違ってないんだ”という喜びと自信を手にできたんです。そこから、「ここにしか咲かない花」、「桜」(ともに2005年発売)、「蕾」くらいまでは、その感覚だけを信じてレコーディングして。“俺と黒田がいいと思った瞬間があれば、それでいいんだよね?”って。セルフプロデュースの不安を掻き消した時期でしたね。

黒田俊介 もちろん、いろんな人に教わることは大事なんですけど、コブクロは僕と小渕の二人で始まっているんだから、“1から10まで二人でやりたい”というのがずっとあったんです。失敗もひっくるめて、経験したい。その思いは、「ここ花」「桜」「蕾」を発表して、世の中が受け入れてくれたときには確信に変わっていたな。

小渕健太郎 そのときから、これは歌う意味がある、歌うことで誰かの気持ちが少なからず動くっていう希望が持てる歌だけを、僕らは歌い続けていて。歌えば歌うほど、いぶし銀みたいにカッコ良くなる歌たちが、今でも残っている歌なんです。リリースした歌が、2年後に誰かの胸を打つことだってたくさんある。歌は待っているんですよね、その人の胸に届く瞬間を。そうやって、いろんな生き方をする人たちの、いろんな響き方を投網のように救い上げていくのが、ライブなんだと思う。だから僕らは、その人その人の響き方をダイレクトに感じられるライブが好きなんですよね。

パブリックイメージの呪縛も…、活動休止後は「違う感性の人間として再び組んだ」

――逆に、それらの曲が大ヒットしたことで生まれた、“コブクロといえば”というパブリックイメージに葛藤したことは?
黒田俊介 やっぱり、タイアップなどで曲を依頼されるときに、“「蕾」のようなミディアムテンポのバラードで”と言われることはありました(笑)。

小渕健太郎 その呪縛は、「君という名の翼」(2006年発売)あたりで気にならなくなったかな。

――2011年に一度活動を休止しましたが、その時間がまたコブクロを進化させたんですね。
小渕健太郎 活動を休止して、僕も黒田も、また違うモードの、違う感性の人間として再び組んだんだと思います。好きで音楽をやっているのだから、休止する前まで抱えていた“こうしなきゃいけない”というルールを全部取っ払って。面白いことだけをやろうっていう話をした結果、「One Song From Two Hearts」(2013年発売)が出来たんです。僕個人的にも、それまでのような自然界や景色の機微を描くという歌詞の目線も変えようと思って。ファンタジーも含めて、それまでと違った解釈をしないと黒田も面白いと思ってくれないと思った。そうして、僕たちなりの解釈を生もうと思って作り始めたのが、休止以降なんです。

黒田俊介 本当に、小渕にしかできない、独特な解釈が多くなりました。新曲の「風をみつめて」にしても、“もしもバラの花に棘が無かったらどんな色の花びらを付けていたのかな?”なんて、すごいこと言うなこの人は! と。俺はそんなこと、考えたこともないですから。

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