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芸能生活20周年、須賀健太が経験した浮き沈み 「子役あるある」の挫折とは?
好青年からサイコパスまで、役柄広げ「固定されたイメージを壊す」
本作では、未熟ながらも実直に寿司に向き合い、夢や希望にひた向きな青年という、彼の持つパブリックイメージに近い役柄を演じている須賀。だが近年は、映画『シマウマ』(2016年)で演じた拷問が大好きなサイコパスや、『ディアスポリス -DIRTY YELLOW BOYS-』(同年)の残忍で凶暴な中国人、さらに『スイートプールサイド』(2014年)では、コンプレックスが偏愛に昇華されていく一筋縄ではいかない青年など、非常に幅広い役柄を演じることが多かった。
こうした俳優活動について須賀は「固定されたイメージを壊したいと思っていた」と胸の内を明かす。幼少期から子役として活躍していたことが、自身の大きな枷になっていたという。
当初はプロ意識皆無、小5で受賞したアカデミー新人賞で影響力を実感
「最初の現場がNHKのドラマだったのですが、出番は3秒ぐらいだったんです。それでもオンエアされたときは、家族みんなで大騒ぎして観た記憶があります。もともと、母親もステージママ的な感じではなく、社会科見学のノリでした。NHKに行ったときも、隣のスタジオで『おかあさんといっしょ』(現NHK Eテレ)の収録があって、ひろみちお兄さん(佐藤弘道)のサインをもらいにいったぐらい。プロ意識なんてまったくありませんでした(笑)」。
そんななか、少しずつだが“演じる”ことの楽しさも感じるようになった。大きな転機となったのが、初主演を務めた映画『花田少年史 幽霊と秘密のトンネル』(2006年)だ。
「撮影は小学校5年生ぐらいのときだったのですが、この作品で、日本アカデミー賞・新人俳優賞(2007年)をいただいたんです。それまでは、僕が作品に出演すると、家族をはじめ周りの人が喜んでくれるのが嬉しかったのですが、この賞をもらって、自分が知らないところでたくさんの人が作品を観てくれているんだと感じることができて『すごい仕事なんだな』と思うようになりました。そこからは、できれば俳優業を続けていきたいという思いが強くなっていったんです」。
仕事激減のフラストレーションも、高校時代に感じた“子役あるある”
「高校時代は、やりたいと思ってもあまり仕事がなかったですね。結構フラストレーションが溜まっていた時期でした。“子役あるある”なのですが、中〜高校生のころは、俳優を辞める人が多い。実際僕も、将来どんな仕事に就きたいのだろうかと、改めて自分の人生を見つめ直しました。そのとき、俳優以外の仕事がまったく思い浮かばなかったんです。仕事がない辛さはありましたが、俳優以外にもっと自分が打ち込めるなにかをみつけられる自信もなく、この世界でやっていきたいと、改めて決心した時期ですね」。
特に須賀の場合、人気子役としての認知度が高く、その知名度が逆に役柄の幅を狭めた。本人は「どんな役でもやりたい」という思いがあっても、オファーする側が、躊躇することが多かった。こうした現状を打破するために、須賀は「とにかく役柄の幅を広げよう」とがむしゃらに俳優業に向き合う一方、しっかりと学生時代を過ごし、視聴者に近い感性も磨いた。本人も「この時期の経験は、いまに生きている」と語っている。
その結果、10代後半から徐々に役柄の幅が広がり、好青年から凶悪犯罪者まで様々なキャラクターを演じ、感情の引き出しをスムーズに表現できる魅力的な俳優へと進化を遂げていった。いろいろな役へのオファーが舞い込む現状に「理想的な流れになっているなと感じています」と笑顔を見せる。