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元℃-ute・鈴木愛理、アイドルからアーティストへ ド直球「覚えてください」の気概
アイドルからソロアーティストへの転換、先輩アーティストも苦戦?
また、1999年に13歳でモーニング娘。に加入した後藤真希は、「LOVEマシーン」でいきなりセンターを務め、グループを国民的アイドルに導いた。その後、17歳の誕生日に卒業したのちにソロ歌手に転身。セクシー路線や、エイベックスに移籍して作詞にも取り組み、ディーバ路線を打ち出した。
女優への転身でも言えるが、ハロプロに限らずアイドル時代に人気と実績があったアーティストほどイメージの払拭は難しい。彼女たちは現在、結婚や出産を経てアーティスト活動休止中だが、アイドル路線時代の活躍を考えるとアーティスト転向後はどこか物足りなく感じられてしまったのも事実ではないだろうか。アイドルという先入観から新たなファンが付きにくく、アイドル時代のファンには“これじゃない”感を持たれがち。ましてアーティストとしてやっていくとなると、同じ音楽括りである分たとえクオリティの高い作品を生み出しても、余計に尻すぼみの印象を持たれてしまう例は数多い。
24歳でアイドル歴15年、“アイドルが憧れる”圧倒的なキャリア
℃-uteはBerryz工房に先を越された悔しさをバネにスキルアップに励んだ。また、モーニング娘。の停滞と共にハロプロ全体の動員が落ちた時期も、ライブに来てくれたお客さんを魅了することに全力を注ぐように。いつしか℃-uteのパフォーマンス力の高さはアイドルファンや業界内に知れ渡り、「最強のアイドルグループ」「アイドルが憧れるアイドル」と称される。
特に鈴木は歌やダンスのスキルの高さだけでなく、『Ray』の専属モデルも務めるルックス、慶応義塾大学に現役合格した頭の良さ、フワフワした親しみやすいキャラクターと、すべてにハイスペック。ハロプロの後輩では金沢朋子(Juice=Juice)、山岸理子(つばきファクトリー)らが“憧れ”として鈴木の名を挙げ、ハロプロ外でも菊地最愛(BABYMETAL)、渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)、阿部菜々実(LaLuce)などリスペクトを公言しているアイドルは多い。山本彩(NMB48)もバラエティ番組『※AKB調べ』(フジテレビ系)の「正直AKB48にいなくて良かった現役アイドルは?」というアンケート企画で、「歌もダンスも上手いし顔も可愛い。アイドルとして完璧」と鈴木に票を入れていた。
当時、℃-uteのメンバーは鈴木のことを「自分の頭のなかで“鈴木愛理”というものがちゃんとわかっていて、いつも変わらない」と評し、鈴木自身も「アイドルの鈴木愛理だからこういうふうにしなきゃ、というのはあります」と語っていた。資質と共に、アイドルとしてプロ意識が高かったことがうかがえる。
ド直球で勝負をかけたソロアーティストへの一歩
一方で、鈴木自身が℃-ute時代から大きく変わった印象はない。アルバムでは赤い公園やSCANDALとのコラボ曲など新たな試みもしているが、℃-uteと並行していたロックアイドルユニット・Buono!の楽曲でお馴染みの作家陣の曲も。鈴木自身、「自分のやっていたアイドルの活動を全肯定して再出発するのがテーマ」と語っており、曲調はダンス曲やロックチューンから昭和歌謡風まで幅広い。ライブでも変に肩肘は張らずにフワフワした感じのMCも以前のまま。℃-uteの元メンバーが「いつも変わらない」と評した通り、無理してない自然体ぶりに、新たに彼女の音楽に触れた層も好感を持ったはずだ。
そもそも℃-uteの後期にはハロプロファンより、℃-ute自体から入ったファンが増えていて、女性アイドルグループとしては女性客の比率が高かった。さらに、鈴木個人には『Ray』モデルとしてのファンも付いていて、アーティスト活動でターゲットになる層への地ならしは結果的にできていた。だからこそできた「鈴木愛理を、覚えてください」のリスタート宣言だろう。
℃-ute時代からのファンは「知っていますか?」と言われたら、当然知っている自分たちはスルーされてしまった印象になってしまい、寂しさも感じられるものだったかもしれない。だが、実際にはアイドルをやり切って築いたものも大切にしている鈴木の再出発を気持ち良く見守れただろう。アイドルからアーティストへの転身の難しさを踏まえた名刺代わりのCMではありつつ、覚えてもらえば惹きつけられる自信の裏付けはファンにとっても誇らしいものではないだろうか。あのCMでゼロからスタートする姿勢を示しながら、アーティスト市場への新規参入に有効な一歩を踏み出せたと言えるだろう。
(文・斉藤貴志)