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大迫だけじゃない「半端なかった」日本代表エース候補 “悲運の天才”たちが歩んだ波乱万丈
磯貝、石塚、小倉…高校時代から“怪物”と評された逸材 世界での活躍も期待された
「例えば礒貝洋光氏」と語るのは元週刊サッカーダイジェスト編集長・山内雄司氏。「小学生時代から天才の名を欲しいままにし、東京・帝京高校では10番を背負った。ワールドユースにも出場し、G大阪加入後もキャプテンを務めるなど創成期のJを大いに盛り上げてくれました」
石塚啓次氏は京都・山城高校の絶対的なエースに君臨し、高校生ながら眩いばかりのオーラを放っていた。山内氏は「93年1月8日に行われた全国高校サッカー選手権決勝では、負傷をおして試合途中から大会初出場。国立競技場は悲鳴に近い歓声と大拍手に包まれました。『和製フリット』の異名を抱き、当時の日本においては本家を凌ぐほどのカリスマ性があった」と述懐する。
また、高校時代より“怪物”と呼ばれ、その後も日本代表としても名を連ねながら、もっと世界に羽ばたくと見られていたという点では、小倉隆史、前園真聖、平山相太氏が記憶に新しい。
「クラブチーム組では、菊原志郎氏、財前宣之氏、玉乃淳氏は外せない」と即答。「3人とも読売クラブ/V川崎(現・東京V)ユースでの厳しい競争に打ち勝ち、プロの座をつかんだテクニシャン。いずれも小柄ながらセンス溢れるプレーには、多くの人が「世界」を夢見たものです」(山内氏)
では、なぜ彼らはファンの期待以上の戦績を残せなかったのだろうか。無論、そこにはそれぞれの選手の様々な事情があり、ひと括りにしてしまうのは乱暴であろう。それを承知で要因を大きくふたつに分けてみる。
「アレがなければ…」天才たちを襲った“負傷”や“モチベーション低下”の影響
財前氏もV川崎トップチームに昇格後、イタリア・ラツィオに留学。ここでの活躍から移籍したログロニェスでも期待されたが、じん帯を負傷し帰国。中田英寿をして「今までプレーした中でベストのパートナー」と言わしめた天才が、海外でも中田とコンビを組む機会はついに訪れなかった。山内氏は「サッカーは接触の多いスポーツであり、負傷は致し方ない面もあるが、『あれがなければ……』という形容がついてしまうのは、不慮の事態であるだけに心が痛む」と沈痛の表情。
もうひとつはモチベーションの低下であろうか。前園は「ただスペインでプレーしたかった」という一心で移籍を考えていたが、当時のJクラブの事情などからセビージャ移籍が叶わなかったことでメンタルコンディションを崩してしまった。平山氏は筑波大在学中にオランダ・ヘラクレスと契約を結び、初年度からチーム最多得点をマークするなど存在感を示した。しかし首脳陣のチーム構想の余波と不慣れな海外生活に疲弊して帰国。その後は期待値が高いぶん要求も多岐にわたり、なかならそれに応えることができなくなった。
指導者や“おもしろオジサン”として活躍する往年の名選手たち
「列挙した選手たちにとって不幸であったのは、今日のようにJリーグを頂点とする整備された環境が形成された時代ではなかったこと」と山内氏は指摘する。J以前、あるいは創設期はまだまだクラブも組織や陣容が万全とは言い難かった。現在では多くのクラブもドクター、トレーナーを充実化させ、コンディショニングを専科とするコーチ、さらにはメンタルセラピストを導入するクラブもある。「これらの体制が整っていたなら、あるいは彼らも世界を舞台に戦っていたかもしれない。その点では“早熟”であったのは彼らではなく、日本サッカー界のほうであったと言いうこともできます」と山内氏は明かす。
「とはいえ、誤った認識でいてもらいたくはない。『天才というわりには才能を開花できなかった』『世界に行けずに終わった』などと言うことは、彼らの上辺だけをあげつらっているに過ぎない。彼らは人々に夢をもたらした天才フットボーラーにして、人生に夢を賭けた天才でもあるのです」(山内氏)
「前園氏は解説やサッカースクールでの指導の傍ら、軽妙なおとぼけでバラエティでも人気を博しています。小倉氏、菊原氏や財前氏は指導者として自身の経験と知識を還元。一方で、一線を画したユニークなセカンドキャリアを送っているのが礒貝氏、石塚氏です」と笑顔で話す山内氏。石塚氏はアパレルブランドを設立した後、現在はスペイン・バルセロナの地でうどん屋を経営。礒貝氏も引退後にプロゴルファーに転身し、現在は友人のツテで建築現場で働いていることが先日本テレビでも紹介された。ともにサッカーと離れながらも、自らの信念に則り新たな夢の世界で戦っている。現役時代とは比べ物にならないほど巨大化した体躯を揺らしながら「好きなことをしているからね」と笑う礒貝氏からは、今を生きる逞しさと豊かさが感じられた。
ワールドカップ出場への夢は叶わなかったし、これまでのサッカー人生は思い通りにいかなかったかもしれない。苦しみ、悩んだかもしれない。ただ、“早熟の天才たち”はいまやそれぞれに実りの時を迎え、華麗なテクニックで各々の人生を切り拓いている。夢中でボールを追ったあの頃と変わらぬ情熱のままに。