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『めちゃイケ』の父、総監督・片岡飛鳥がバラエティー界にもたらした功績

 土曜夜8時のお笑いを20年以上引っ張ってきた『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)が3月31日(土)、ついにその幕を下ろした。番組ラストは、メンバー17名全員がスピーチをし、岡村隆史も涙ながらに感謝の気持ちを吐露し、感動的な終幕を見せた。ORICON NEWSではめちゃイケメンバー全員にリレーインタビューを実施していたが、その中で度々出てきていたのが番組の総監督を務める片岡飛鳥氏への“感謝”の言葉。『めちゃイケ』において片岡氏の存在は絶対であり、90年代以降の日本のバラエティー番組を牽引してきた最重要人物でもある。めちゃイケ=片岡飛鳥氏がテレビ界に残した功績とは?

岡村らメンバーからも畏敬の念、バラエティーの基礎を全て叩き込んだ父であり先生

 同番組の放送枠は土曜8時。土8時といえば、『オレたちひょうきん族』(1981年から8年間)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(1990年から3年間)、またTBSでは『8時だョ!全員集合』(1969年から16年間)、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(1986年から6年間)と、伝説的お笑い番組が数多く放送されていた時間帯だ。そんな中で『めちゃイケ』の放送期間は22年間。これは同枠同時間帯では最長だ。

 めちゃイケメンバーへのインタビューでは、片岡飛鳥氏の名前が度々登場する。『めちゃイケ』のプロトタイプとなる『とぶくすり』から片岡氏と苦労をともにしてきた岡村は「海のものとも山のものともわからなかった僕らと、心中する覚悟でやってきてくれた人」と述懐。矢部浩之は「みんな若い頃からやってきたから、『めちゃイケ』が“学校”で飛鳥さんが“先生”ってよく言ってた」と明かし、片岡氏へのリスペクトをそれぞれ口にした。

 「番組を振り返るうえで外せない中心人物であり、『めちゃイケ』を『めちゃイケ』たらしめたのは、紛れもなく総監督の片岡飛鳥氏」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。「片岡氏は“謎”の多い人物で、番組でもたまに声だけは入ることはあっても、その姿はメディアではほとんど見られません。テリー伊藤しかり、マッコイ斉藤しかり、有名な番組プロデューサーは何らかの形でテレビに出ることが多々ありますが、片岡氏はほぼ完全に裏方に徹した人であり、各方面から、“数少ない昭和のテレビ屋気質のプロデューサー”という声も聞かれます」(衣輪氏)

若手芸人を愛し、若手芸人が 輝くフォーマットを“発明”

 片岡氏は1988年にフジテレビに入社。下積み時代に『おれたちひょうきん族』のスタッフに。ダウンタウン、ウッチャンナンチャンが出演した伝説的深夜バラエティー『夢で逢えたら』といった番組にもスタッフとして参加した。『笑っていいとも!』のタモリと客との掛け合いの定番だった「そーですねー!」などは片岡氏の発案ということも知られる。その後『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』を経て、“めちゃイケ”のプロトタイプとなった『とぶくすり』がスタート。以降は、ナインティナインや極楽とんぼ、よゐこらとの深い信頼関係が続く。

 「フジテレビは1981年にキャッチコピー『楽しくなければテレビじゃない』を打ち出し、翌年から『軽チャー』をテーマに次々と人気バラエティ番組をスタートさせました。結果、1987年には全日視聴率1位を達成。片岡氏は、そのノリにノッたフジテレビを90年代にさらに押し上げた立役者であり、同キャッチコピーを体現した一人。そしてある“発明”をも果たしたのです」(衣輪氏)。その“発明”とは、「めちゃイケの“パッケージ化”」だ。「例えば、個々が前に出たい若手お笑い芸人を束ねる。テロップを入れるタイミングやワードのこだわり、随所に入るナレーション。また、感動とお笑いを組み合わせるバラエティードキュメンタリーの要素。視聴者にも分かりやすい形で番組の空気感を作り、ワンシーンを見ただけで“これ、めちゃイケっぽいね”と分かる番組作りを行いました」(同氏)

 矢部浩之は片岡氏を次のように語った。「“めちゃイケ”は早い段階で“岡村隆史を神輿に乗せてみんなで担ごう”っていうフォーメーションになりました。最初に番組に集められた時は、みんな若いしギラギラしているから、誰もが真ん中に立ちたいに決っているんですけど、飛鳥さんが作ったフォーメーションをかなり早い段階で受け入れてくれたんです」。そのパッケージ=めちゃイケっぽさは、片岡飛鳥総監督による『27時間テレビ』でも発揮された。これまで『めちゃイケ』チームが担当してきた『27時間テレビ』は、2004年が平均視聴率16.9%・瞬間最高32.7%、2011年が平均14.0%・瞬間最高29.8%と、いずれも高視聴率を記録している。そして番組を“パッケージ化”する流れは、他番組、他局も踏襲していくことになる。

若手主体の成長型バラエティーを確立、その精神は後進番組にも継承

 若手芸人主体でその成長過程すらもバラエティーに昇華する手法は、後進の番組にも受け継がれた。キングコング、ロバート、ドランクドラゴン、北陽、インパルス、準レギュラーのいとうあさこ、バカリズム、平成ノブシコブシなどを起用した『はねるのトびら』(2001年〜2012年)。ピース、ハライチらを起用した『ピカルの定理』(2010年〜2013年)。片岡氏と『めちゃイケ』の原点ともいえる『新しい波』シリーズもそうだろう(8年ごとに新たなお笑いスターが誕生するという“お笑い8年周期説”を体現した番組で、2017年『新しい波24』で終了)。片岡氏は『めちゃイケ』以降のバラエティーにも「監修」や「企画統括」といった立場で関わってきており、フジテレビ=バラエティー王国を作り上げた功労者と言える。

 だがここで疑問が浮かぶ。フジテレビが誇る名物バラエティー番組に多数関わってきた片岡氏。だが『夢で逢えたら』以降、なぜかダウンタウンとは接点がほとんどないのだ。放送作家の高須光聖氏のオフィシャルサイト「御影屋」に片岡氏との貴重な対談記事が掲載されており、そこで片岡氏は次のように語っている。「“夢逢”は、最初からお笑い体力持ってる人達ばかりが集まっていた。本当に、全員が全員すごかった。 でも“めちゃイケ”は、“夢逢”とは違う」。――つまり、若手だったとはいえ完成された天才芸人であった松本人志を見て、「新人・若手芸人の育成」の方へと力を注ぐことにディレクターとしてのオリジナリティーを見出したのではないかと推測される。

転換期だからこそ新たなアプローチのテレビマン出現に期待

 「どの局にも名物プロデューサーやディレクターはいます。テレビ朝日で『アメトーーク!』や『ロンドンハーツ』などを手掛ける加地倫三氏や“ナスD”の愛称でも知られる友寄隆英氏。テレビ東京で『ゴットタン』などを手掛ける佐久間宣行氏。また日本テレビ『エンタの神様』などの五味一男氏やTBS『水曜日のダウンタウン』などの藤井健太郎氏。問題は彼らがすでに局の偉い人かつベテランであり、若い世代の“後継者”が不足していること。職人気質なゆえに、いい番組を作る事にまい進し、自分ならではの手法を築き上げた彼らですが、テレビの未来のために今後は若手芸人だけでなく、後進の育成にもさらに力を注いでほしい」(衣輪氏)

 先述の高須氏との対談でも、片岡氏は後進の育成について言及している。片岡氏は「ディレクターは全てを説明できなければいけない」という信念のもと、細部の設定にもこだわった。その結果、タレント側にも、後輩のテレビマンたちスタッフ陣にも片岡イズムが浸透。そうして“最高の番組パッケージ”が出来上がったことが窺える。これらは模倣しやすく、多くの追従者を生んだ。しかし模倣は模倣でしかない。模倣はオリジナルのクオリティには遠く及ばない。衣輪氏は「そんな、“最高のパッケージ”であっためちゃイケが終了するということは、これまで続いてきたバラエティ番組の手法はゼロに戻ったとも言えます。ある意味、バラエティー番組の歴史の転換期ともいえる出来事。そしてこれは“バラエティー王国=フジテレビ”の復活のチャンスであるかもしれない。制作現場を見ても、フジテレビには沸騰寸前の底力が、その時期を今か今かと待っているように感じられるのです」と語る。

 全編新撮、放送内容も「危険な企画を詰め込みました」とうたった最終回5時間スペシャルでは、しりとり侍、Mの三兄弟といった過去に苦情が殺到した企画までも多数復活。ビートたけし、明石家さんまいった大物ゲストも登場し、番組ラストでは、総監督・片岡飛鳥氏からメンバーへのインタビュー(片岡氏は声のみで出演)、とメンバー17名のスピーチを約1時間30分に渡って放送。そして片岡氏からメンバー各々に『めちゃイケ』卒業証書が授与され大団円を迎えた。

 最終回でも、感動×お笑いのバラエティードキュメンタリーを練り上げ、最後まで“攻めた”笑いをお茶の間に届けた片岡飛鳥イズム溢れる『めちゃイケ』だった。メンバーにとっては父親であり、先生でもあった片岡飛鳥氏に並ぶ、気鋭のテレビマンの出現、そして“めちゃイケ”22年の偉業を超える番組の出現を切に願うばかりだ。

(文/中野ナガ)

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