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“劇場型会見”増加のワケ 視聴者を辟易とさせながらも強烈な“画力”で圧倒
90年代まで頻発した“劇場型会見”、多くの迷シーン、迷台詞が誕生
古くは美空ひばりの離婚会見における「理由をお話したいのですが、それを言ってはお互いに傷つける」(1964年)や、松田聖子が破局会見で泣きながら語った「生まれ変わったら一緒になろうね」(1985年)、果ては勝新太郎が逮捕後の会見で放った「もうパンツを履かない!」(1990年)などは、歌舞伎のようにケレン味たっぷりの台詞回しとも言え、“劇場型会見”を象徴する“名(迷)台詞”として今も芸能史に刻まれている。
また、バブル期の芸能人・著名人同士の結婚では、バカでかいウェディングケーキに数百人の参列者への豪華な引き出物という数億円もかけた“ハデ婚”が主流となり、結婚式自体が壮大な“劇場”となった。だが、バブルも弾け、芸能人の結婚にも地味婚ブームが到来、それと比例するように“劇場型会見”も徐々に鳴りを潜めて行った。
文春砲に代表される特大スクープが良質な“脚本”となり、新たな“迷優”たちを生む構図に
ただ、それらの報道が以前と異なるのは、昨年のゲスの極み乙女・川谷絵音とベッキーの不倫騒動謝罪会見や森友学園・籠池泰典氏の会見にみるように、いわゆる“文春砲”的な週刊誌の特大スクープが、以前よりもさらに発端となっている点だ。週刊誌のスクープが脚本(もしくはプロット)となり、当事者たる人物が“主演俳優”として記者会見という“舞台”に立ち、視聴者が“観客”として巻き込まれるという流れになっている。
今ではSNSの一般化により、多くの視聴者が一連の“ストーリー”を把握しており、会見自体を「いつだろうか?」と、その“初舞台”を熱望するエンタメ的なコンテンツにすらなっている。最近の大相撲暴行問題にしても、そうした流れの中で「何で貴乃花親方は公の場に出てこないんだ?」といった批判の声も上がってくる。そして会見があればあったで、衆人環視の中に引っ張り出され、内容の良し悪しや事のいきさつはともあれ、当の本人は“主演”を演じることとなるのだ。
同じ“息子の不祥事会見”でも明暗くっきり、立ち回り次第では諸刃の剣に
悲喜こもごもの“劇場型会見”。息子(清水良太郎)の不祥事の謝罪会見をする父親・清水アキラに同情の声が上がれば、同じく息子(高畑裕太)の謝罪会見で、視聴者の反感を買った高畑淳子のようにヤブヘビになる場合も。まさに十人十色の人間模様が浮きぼりになるこの舞台は、その立ち回り次第で諸刃の剣になのは間違いない。
正直、大味すぎて“胃もたれ”を起こしている視聴者が大半だと思われるが、まだ見ぬ大物“迷優”の登場をどこかで待ち望んでいるのもまた、視聴者心理と言えるのかもしれない。