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バンドに人生を捧げた男、TAKUROが語るGLAY論

今年、メンバーのサイン入りの感謝状をもらったな

――そんな風に思うようになったのはいつからですか。
TAKURO ちょうど20年前ぐらいじゃないかな。それ以前は、認められたい、売れたいと、心に不純物が混ざっていた。転機になったのが、96年の「BELOVED」。メジャーになって初めてフォーキーな曲を出したんだけど、それこそが等身大の俺だったんです。それまでは、ロックへ憧れてカッコつけているところがあった。でも、「BELOVED」が多くの人に受け入れられたことで、もう憧れに頼って曲を書くことがなくなりました。結局、青年期に内包するものすごい熱量を、死ぬまで持ち続けられるかどうか。それがロックバンドの命綱なんだと思うな。ヒット性、親和性のある曲を出す作業はその時々のプロがやるんだけど、お客さんがロックに求めるのは、実はそこじゃない。バンドは、どこまで行っても生き方やメッセージが大事で、お金や仕事じゃなく、楽しんでいるかどうか。バンドの真価をはかるのは、そこ。どんなに年を取っても、くだらないことにこだわって、アツくなったり喧嘩したり。そんなことに、俺はものすごくロマンを感じるから。10代の頃から変わらぬ楽しさでバンドを続ける、その純度の高さと熱量を、GLAYはいちばん大事にしているし、今後もしていきたいですね。

――なるほど。
TAKURO GLAYにとって初めての宝飾店の大型のタイアップがついた「Yes ,Summerdays」という曲があるんです。メロディもアレンジもすごく話し合いを重ねて作ったもので、ヒット性の強い、キャッチーな曲になった。でも、作り方はすごく戦略的だったから、いざ演奏するときになって、「こういう曲なんだ」という熱をメンバーに伝えられずに、黙って弾いてもらった。結果、その曲は売れたんだけど、ライブでやろうという話にあまりならないんです(苦笑)。その一件で俺も傷ついたし、メンバーも傷つけた。やっぱり、音楽を作るときは神聖な気持ちでいないとダメなんです。そしてバンドは、お互いをミュージシャンとしてリスペクトできなければ、20年後も30年後も続けられない。本当に、音楽って面白いですよ。1曲の歌が、時代によって花咲く時もあれば、何かの弾みで枯れたり散ったり、何年後かにまた咲いたり。生まれた曲を届ける、正しい時間は今じゃないかもしれない。だから、曲作りもバンドも休まず続けていかなきゃいけない。昔の曲も新しい曲も、どっちも育てていかないとダメなんです。

――そうやって四六時中、GLAYのことを考えているんですね。
TAKURO なのに、ウチのメンバーなんて、全然俺のこと大事にしてくれないんですよ。もっと感謝してもいいのに(笑)。

――男性特有の照れじゃないですか。思っていても口に出せないような。
TAKURO でも、待てよ…。今年、感謝状もらったな。メンバーのサイン入りの感謝状…。

――なんのタイミングですか?
TAKURO 誕生日プレゼントに、立派なバスローブと感謝状をもらいました。「今後とも頑張れ」みたいなメッセージ入りの。それを見て、「頑張るか!」と思ったんだった…。制作費100円ぐらいでノセられて、俺も安い男ですね(苦笑)。ま、感謝されてもされなくても、ファンが1人でも100万人でも、俺は結局、24時間GLAYのことを考えちゃうんだけど(笑)。
(文:菊地陽子)

「あなたといきてゆく」ミュージックビデオ(short ver.)

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