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嵐・二宮和也、映画で“愛を知らない”料理人役に「我ながら本当に嫌なヤツ」
僕は左利きなので、右利きにするのが大変
二宮和也 正直、あまり食にこだわりがないので、不安だなと思いました(笑)。そもそも、僕は左利きなので、右利きにするのが大変なんです。ほとんどの料理人の方が右利きだから、厨房も包丁などの器具も、右利き用にできている。そこに左利きが入ると、切り口や盛りつけの向きが逆になってしまうんです。以前、料理人見習いを演じたドラマ『拝啓、父上様』(2007年 フジテレビ系)のときも、すごくがんばって右利きの練習をしたんですが、そこばかりを褒められて(笑)。僕が役作りに費やした時間はもっと他にもあるのに…と、複雑なところもありましたね。
――佐々木充が中心となる2002年と、天皇の料理番だった山形直太朗(西島秀俊)が中心となる1930年代と、2つの時代が交錯しています。完成品をご覧になった感想は?
二宮和也 満州パートの撮影にお邪魔できなかったので、初めて完成品を観たときは違う映画を観ているようでした(笑)。本当は過去の時代を意識して、その中でなにかを現代パートに生かせたらいいなと思っていたのですが、スケジュールはなかなか理想どおりにはいきませんでしたね(笑)。とはいえ完成品では、満州パートも細部までこだわっていて、すごくよく出来ていると感動しました。現代側の視点で観るのと、満州側の視点で観るのとでは、見え方がぜんぜん違うと思います。しかも、2つの物語の“ミステリー”が平行して進んでいくところが、すごく面白い。これは、1回観ただけでは足りない。ぜひ、リピートをオススメしたい作品です。
「みんな、そんなに愛情に満ちあふれて生きていますか?」と問いたい
二宮和也 まず考えたのは、成長しすぎないということ。あんまりわかりやすく成長してしまうと、エンタテインメントになりすぎてしまうと思うんです。それよりも、他人に心を開かずに笑いもしなかった人間が、仲間と一緒に料理を作れるようになった。やっと人として必要な物を取り戻して、人生を始めました…くらいでいいんじゃないかな、と。冷たいとか他人との間に壁を作るとか、そういう強い意志はいらない。“関わり甲斐のない人”でいいんじゃないか、というところで監督とも意見が一致しました。たとえば、最初は飲みに誘うけど、「あいつは誘っても行かないから、いいよ」と、どんどんみんなの愛情から遠ざかっていくような人のイメージです。
――二宮さんはそんな人物をどう思いますか?
二宮和也 思えば僕自身、“最近、あんまり誘われてないなぁ”という感じの人間なので、わりと自然に演じられました(笑)。でも、僕としては「みんな、そんなに愛情に満ちあふれて生きていますか?」と問いたい気持ちもあります。だって、いつでも誰にでも均等に愛を受けたり注いだりしている人なんて、なかなかいないでしょう。たぶん、誰の中にも充のようなところはあるんじゃないかな。だから、全否定できないキャラクターだと思って見ていただければいいなと思います。