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中田ヤスタカ×米津玄師 映画主題歌でコラボ「ありがちなものにしたくなかった」

マイノリティの中だけでやっていっても面白くない(米津)

――中田さんはCAPSULEという自分のユニットでの活動があって、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅのプロデュースワークがあって、そして今回のようなソロ名義の活動があるわけですけれども、ご自身の中ではどのようにチャンネルをわけているんでしょうか?
中田ヤスタカ それぞれ結構違いますね。CAPSULEはその中でいうと、アマチュアから唯一やってるというか、学生の時の感覚を維持してる感じなんです。CAPSULEを組んだ理由はいろいろあるんですけど、もし自分が米津くんみたいなタイプの声を持っていたら組んでなかったかもしれない。中学校や高校生の時からずっと音楽を作ってきて、自分はプロになると勝手に思ってたんです。でも、それこそ『何者』で書かれてる就活じゃないですけど、いざ音楽を仕事にすることを考えた時に「あれ? ボーカルがいないともしかしてプロになれないかも」と思って作ったのがCAPSULEなんですよ。だから、もともとボーカルのこしじまとしこはあくまでも代わりに歌ってもらう人で、CAPSULEは僕のソロみたいなところはありますね。

――Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅはどうでしょう?
中田ヤスタカ Perfumeに関しては、僕が最初に会った時はまだ中学生のアイドルだったし、僕は当時23歳でプロデュースを始めたばかりで。アイドルのプロデュース経験者じゃないし、作家としての仕事もやったことがないし、自分のメインはCAPSULEだと思ってたし、何も空気を読まないでやった結果、ああなったっていうことなんですよね。アイドルをメジャーデビューさせるための活動としては、それまでの正解とは全然違うことをやっていたと思います。ただ、それをやらせてもらえる環境だったのは大きかった。その時点でものすごい期待をされているプロジェクトだったら僕じゃなくてもっと実績のある人にプロデュース依頼がいってたと思うし、商業的な期待や圧力がかからない状態を手に入れてたので、ある程度自由にできていました。そういう部分はすごくラッキーだったとは思います。きゃりーは逆に、皆からすごく期待されてデビューしたので、自分がCAPSULEとかでやってきた過去のテクニックを総動員したんですね。本人のキャラクターからいろんなキーワードが浮かんだので、歌詞に関しては今までとは違うことをやってるんですけど、サウンドに関しては必殺技しか使わない、みたいな。ずっと昇竜拳と波動拳を打ってるみたいな感じ(笑)。

――中田ヤスタカ名義のソロはどうでしょう?
中田ヤスタカ 僕はエレクトロハウスと呼ばれるようになるジャンルの音楽を、ポップスとして聴く人も作る人もあまりいない時にスタートできてたので、普通じゃないものを普通に変えるっていうところに運良く実感を持って立ち会えた時があって。だから、そういうことをずっとやり続けたいと思ってるんです。それで、ソロは何のためにやってるかと言うと、今の時代、「アーティスト」になりたい人は一杯いると思うんですよね。で、アーティストというのは、歌う人か踊る人。それが今の時代の“普通”になっている。今の日本では、歌手に参加してもらって自分の名前でアルバムを出せる作曲家って、すごく少ないと思うんです。そういうことをやれる人がもっと増えた方がいいと思うし、僕は作曲家の人がもっと世に見えるようになったほうがいいと思う。それが“普通”になったらいいと思っていて、だからやってるっていう感じですね。

――米津さんは、そういった中田さんの音楽性やスタンスについてどんな風に感じていますか。
米津玄師 僕が音楽を作る上で一番大事にしているのは言葉とメロディなんですけど、そういう点で中田さんは、ちゃんとキャッチーなところとエッジなところを行ったり来たりできる人だと思います。その両方をできる人って、あまり他にいない。自分はひねくれ者だし、マイノリティ側の人間だと思ってるんですけど、マイノリティの中だけでやっていっても面白くない。自分自身には、音楽をやる上で、どんどん遠くに行きたい感覚がすごくあるんです。それこそJ-POPのメインストリームしか知らないような人にまで波及するものを作りたい。中田ヤスタカさんはそういうことをすごく高精度にやっている人という認識なので、そういうところを目指したいという気持ちはありますね。

“東京を代表するサウンド”はまだ定まってないと思う(中田)

――中田さんは日本だけでなく、海外からも高い注目を集める存在ですが、海外から見た日本の音楽、東京の音楽を担う一人として、ご自身が考えるところはありますでしょうか。
中田ヤスタカ 僕自身は、海外の人から見た時に“東京を代表するサウンド”っていうのは、まだ定まってないと思うんです。日本の人はいろんな国に勝手なイメージを持ってるじゃないですか。ロンドンのバンドはこういう音を出してるとか、フランスだったらフレンチ・エレクトロがあったり、ブラジルにはボサノヴァがあったり。決してその街のミュージシャンが全員そのジャンルをやってるわけではないけど、ある時期にあったムーブメントがそういうイメージを作ると思うんです。でも、東京には海外でのそういったものはまだないと思っているんですよ。それに、クラブ・ミュージックだと、国の名前とか都市の名前がジャンルにつくようなことってあるじゃないですか。たとえば、最近だったらオランダが強いし、昔だったら、シカゴとかデトロイトとか、アメリカの都市の名前がついたハウスやテクノのジャンルがありましたよね。でも、東京の名前がついたジャンルはまだない。

――確かにそうですね。
中田ヤスタカ 日本はすごく大きなマーケットだし、音楽が好きな人も多いし、それにちゃんとお金を払うという人も多いから、東京は「音楽好きの街」としてはものすごくいい街だと思うんですよ。世界でもトップレベルだと思います。でも、コンテンツを作っている側が受け身な気がする。それは、日本の人が自国の音楽をちゃんと買ってくれるから、それ以上のことを考える必要があまりなかったせいだと思っていて。だから、海外から見た東京の音楽がどういうイメージになるのかは、これから決まっていくんじゃないかと思うんです。それはやってる側が決めるというよりは、勝手に定まっていくんじゃないかと思うんですけど。

――海外進出についてはどう思いますか?
中田ヤスタカ 海外発になるって意味での海外進出なら、最初から引っ越さないといけないと思います。知らない土地でウケる曲を想像して作っても仕方ないですし。僕は東京に住んでいる以上、“東京発”でいたいと思う。東京という街にいて自然と生まれてくるものを、ちゃんとやりたいんですよね。僕が感じる東京を反映させながら、都市のサウンドを作っていきたいなと思います。

(文/柴 那典)

主題歌「NANIMONO(feat. 米津玄師)」が聴ける映画『何者』予告

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