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女性アイドル界から減少する「解散」 「卒業制度」がもたらした変化とは?

 節分が過ぎ、季節は春へと加速していく。そして、桜の開花とともに学生たちの「卒業」の時期も本格化する。エンタメシーン、なかでも女性アイドルグループに目を向けると、昨年から今年にかけて「卒業」の報が相次いでいる。ファンにとってはショッキングであり、寂しさや悲しみを伴うものだろう。その一方で、「卒業」によって、そのメンバーにもグループにも新たな道が開けてくる。しかしながら、この「卒業」という表現(システム)は、昔から普通に取り上げられていたものではない。1970年代のアイドル、具体的にはキャンディーズやピンク・レディーといったアイドルグループには「卒業」という転機はなかった。区切りの表現に用いられたのは「引退」「解散」だった。

脱退に「卒業」という言葉を用いたおニャン子クラブ

  • かつては人気を博したが、その活動は意外にも2年ほどだった国生さゆり

    かつては人気を博したが、その活動は意外にも2年ほどだった国生さゆり

 では、そんな「卒業」が大きく取り上げられた最初はいつなのだろうか。確証はないが、おそらくおニャン子クラブから設立時のメンバーであった中島美春、河合その子の2人が脱けた際のことではないかと思われる。事実、この顛末を綴る記事によっては「脱退」「引退(中島のみ)」といった表現も見られた。だが、おニャン子クラブが「放課後のクラブ活動」をイメージしていた点、芸能界から完全引退する中島をフィーチャーしたシングルの発売時期が卒業シーズンだった点なども相まって、「卒業」という表現が主流となり、番組内でも中島、河合の「卒業式」が行われるに至った。これを始まりとして、同グループからメンバーが脱ける際には「卒業」が使われることとなる。

 とはいえ、おニャン子クラブが当時(1980年代半ば)、他の追随を許さない女性アイドルグループだったことや、また87年にはおニャン子そのものが消滅、さらにその後のアイドルグループに“国民的”な存在が誕生しなかったことも重なって、その後、マスメディアを通してアイドルシーンにおける「卒業」が喧伝される機会は一気に減少してしまう。

グループ名を“ブランド”にして継続 モー娘。が築いた新しいアイドル形態

 次にアイドルグループからの「卒業」がクローズアップされるようになったのは、モーニング娘。以降のことだ。おニャン子クラブという不世出のアイドルグループからいろいろなノウハウを学んだプロデューサーのつんく♂は、メンバーの去就に際し、「卒業」という表現を用いた。おニャン子クラブ同様、メンバーの離脱という衝撃をソフトにコーティングしたものだった。

 ただ、大きく異なったものがある。「クラブ活動」からの卒業という言葉の置き換えに過ぎなかったおニャン子に対し、モーニング娘。のそれには「グループの存続」、もっと大げさな表現をするなら「ブランドの存続」というもう一つの命題があった。メンバーは出ていくけれども、“モー娘。”というグループは続いていくということを打ち出すための「卒業」であったと思われる。事実、1997年に第1期のメンバーによって結成されたモーニング娘。だが、現在のメンバーの大半はその時に生まれていない者ばかりである。卒業を重ねることでグループの新陳代謝を図る――この構図はAKB48にも受け継がれ、いまや多くの女性アイドルグループがそのシステムに倣っている。

2〜3年でアイドルと共に卒業したファンにも変化 アイドル界の活動歴が長期化

 こうしたシステムが、ファンの行動にも変化をもたらした。かつてのアイドルグループには個々のメンバーへの強い応援があった。キャンディーズで言うなら、ラン派、スー派、ミキ派というファンの集合体がグループを支えていた。おニャン子クラブのファンにもその傾向は少なくなく、新田恵利や国生さゆり、高井麻巳子などの人気メンバーのファン同士が「派閥」を形成し、そのバランスの中でグループを応援していた。そのため上記のメンバーが「卒業」した際には、そのファンの数だけグループ本体もファン離れを起こし、勢いを削ぐ状況へ向かっていくこととなった。「卒業」という表現はあったにせよ、ファンにとって、構成メンバーは絶対的な存在であり、そこに変更という考えはなかったことを示す事例だと言える。今でいうなら、「推しメン」がグループを去る時は、自分もグループの応援を「卒業」する時、という考え方だ。

 ところが、モーニング娘。のように、メンバーが次々と交代しながらもグループは継続し、ファンもまた彼女たちを応援し続ける例が生まれ始めると、その後は「推し変」「ハコ押し」するファンが当たり前になってきた。背景にあるのは「情報収集」の多様化だ。かつて、芸能誌やテレビ番組がアイドル情報を得るわずかな方法であったのに対し、インターネットの普及以降は、いつでも最新の情報を入手することが可能になった。少しでも気になったならそれらの情報を手に「推し変」することは格段に容易になった。

 ましてや、握手会などアイドルと直に接してその人となりを実感する機会も増えている。大人数のグループが増え、個々のメンバーの個性が明確になってくると、70〜80年代のアイドルシーンを支配していた「メンバー固定」「変更不可」という価値観は崩壊していく。アイドルの活躍するフィールドが広がることで、あらゆる方面からの新規ファンを導入することも可能になった。もちろん、そこにも「情報収集」が容易に行えることは大きな影響を与えている。かつて、2〜3年と言われたアイドルの活動歴は、いまや5年、10年が不可能ではなくなった。ファンの「推し歴」が長くなっている現状を見ても、現在のアイドルシーンは、この後も続いていくのではないだろうか。

(文:田井裕規)

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