今年も、小さくやわらかな桜の花びらが全国各地で咲き乱れる季節がやってきた。ことさらに日本の風土を意識するこんな季節には、やはり日本語を大切にしっとりと歌う女性アーティストの曲がよく似合う。落ち着いた佇まいのなかに浮き立ってくる華麗でチャーミングな笑顔、そんなイメージを感じさせるのが柴咲コウだ。ニューアルバム『嬉々♥』はそんな彼女から1年4ヶ月ぶりに届いた“素顔”が“満開”の1枚。女優とはまったく別の顔を見せるアーティスト・柴咲コウの“いま”を感じてほしい。
シンガーとしてだけではなく、自ら作詞を担当し、アーティストとしての実績をコンスタントに積み上げてきた柴咲コウ。情感豊かに語りかけてくるものから、日常のスケッチを鮮やかに切り取ったようなものまで、その作風の広さはもはや多くの人々のなかに定着し、世界観に一層の磨きをかけている。女優として話題作から大ヒット作へと立て続けに出演を重ねながら、女性アーティストとしての感性はさらに研ぎ澄まされたものとなっている。そんな成長著しい彼女だけに、今回のアルバムの内容も“えっ”と驚き、“確かに”と共鳴し、“さすが”と納得してしまう、完成度の高い仕上がりとなっている。
柴咲最大の武器でもある“声のよさ”は相変わらず健在で、伸びのある声色ももちろん魅力十分なのだが、少し抑えた歌唱法に新たな発見をした思いがする。というのも、今回のアルバムにおいても、彼女自身が全ての作詞を手がけているのだが、そこには身近に存在するささやかな愛や幸せ、不安といったテーマを歌ったものが多く、しっとりとした歌声が、それぞれの歌詞にふくらみを持たせるからだ。特に、アルバムの冒頭を飾るタイトル曲「嬉々」は、そのボイストーンのステップの踏み方に「えっ!こんな柴咲コウ、聴いたことない」と感じるとともにボーカリストとしての進化に息を呑むこと必至だ。
驚きと期待に胸をときめかせつつアルバム全体に目を移すと、静けささえ演出するバラードから全身をポップの分身が駆けめぐるミディアムテンポまでが効果的に押し寄せてきて実に楽しい。柴咲のボーカルを輝かせ、その声質を最大限に活かせる王道のメロディーたちである。これまでの作品とはひと味違う、広い意味での愛(自分自身、恋人、家族、あなた)が描かれていることも新鮮。普段は気にも留めなかった愛の存在を感じ、その世界観にハマッてしまうはずだ。そして、その余韻を縫うかのように「invitation」「カレンダー」といったアップテンポなナンバーが心と身体にビタミンを注入してくれる。派手さはないものの、聴けば聴くほど味の出るアルバムである。なかでも、繰り返し聴きたいのが、メロディーに載せて柴咲が問いかけてくるポエトリー・リーディング・スタイルの「─toi
toi─」。2分にも満たない小品だが、歌とは異なる彼女の詞の凄みが伝わってきて、その問いかけを心のなかで幾度となくリフレインしてしまう自分がいるはずだ。
女優・柴咲コウとはまた違う地平に存在するシンガー・柴咲コウ、そして詩人・柴咲コウ。CDデビューしてからわずか5年足らずでこれだけ鮮明かつ独自の世界観を構築し、それを余すところなくアルバムで表現できる彼女の表現力は、今後の女性アーティストシーンを占ううえで絶対にはずすことのできないものであり、この『嬉々♥』はその試金石になる1枚──桜の花の美しさと儚さを感じることのできる日本人だからこそ心揺さぶられる1枚。曲のあちこちに顔をのぞかせる、ドラマや映画のなかでは知ることのできない“素”の彼女を発見するためにもチェックしておきたい1枚だ。
(文:田井裕規)