ばら科の落葉高木。春、薄紅色・白などの美しい花が咲く。花は五弁だが、八重咲きもあり、ヤマザクラ・サトザクラ・ソメイヨシノ・シダレザクラ等、種類が多い。わが国の代表的な花として広く親しまれ、平安時代以後、単に“花”と言ってこれを指すことが多い。後世、散りぎわのいさぎよさから、武士道の象徴ともされた。材は器具などに使い、花の塩づけを桜湯にする――。
どうだ、『岩波国語辞典』の<桜>に関する記述で、なぜ“桜ソング”が日本人に愛されるのか一目瞭然ではないか! と、このまま終わると殺されそうなので続ける。
今回の2つのランキングを見て興味深いのは、そのほとんどが21世紀(笑)の楽曲であるということ。特にセールス・ランキングがわかりやすいのだが、とにかくCDが100万枚単位で馬鹿みたいに売れた90年代の“音楽バブル”期には、作り手サイドにも聴き手サイドにも、“桜ソング”は全く相手にされてなかったわけだ。それだけ桜を愛でたり、感傷にひたったりする心の余裕などないくらいに日本国民全員が、物欲バカと化してたのかもしれない。反省だ反省。
森山直太朗以降、“桜ソング”が急増してるのはまあ、“資本主義ならではのご愛嬌”ということで微笑ましいが、それだけに“桜”に対する解釈がどんどん拡がってて、アーティストの感性の向上に大きく貢献している気がする。
同じ満開の桜を見ても、ポジになる人もいればネガになる人もいる。情緒的になるかと思えば、やたら元気ハツラツになったりもする。どの曲がどれに当てはまるかは、説明しなくてもわかるっしょ?
音楽評論家的に言わせてもらえば、情緒性を徹底的にスマートに表現したケツメイシ、ドラマの再放送に想い出をシンクロさせて“季節外れ”をあえて演出した宇多田ヒカル、そして圧倒的な写実力で“少女の感傷”を優秀なガールポップに仕上げた川本真琴、が秀逸だ。また、かつてアイドル歌謡の定番商品だった“カレンダー・ソング”を、かわいこぶりっこ(←完璧に死語)のまま国民的愛唱歌にまでのし上げた松田聖子は、やっぱ“人間国宝”級だと改めて思うし。
結局、“桜ソング”が愛聴されてる間は、“人々の心が荒んでないぞ”ってことなのだろう。きっと。
ちなみに私の愛犬の名前は、サクラです。