森本稀哲氏の処女作『気にしない。どんな逆境にも負けない心を強くする習慣』では、少年時代から北海道日本ハムファイターズ、横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズで迎えた引退試合まで、40にも及ぶエピソードを収録。著者自身が抱えた問題から何を学び、どのように解決してきたのか――ポジティブになれる何かを必ず感じ取ってもらえるはずです! 読後、前向きになれるコンテンツを本書から紹介します。
やばい、俺のほうがよっぽどショボいじゃねーか!
「なんとかなるさ」
「なるようになるだろう」
どちらも、苦しいときに口をついて出る言葉です。聞いた感じは似ていますが、僕はまったく違うものとしてとらえています。
プロ野球選手になる前の僕は、プロの世界で「なんとかなる」と思っていました。プロ入りすれば、すぐにレギュラーになれると大きな勘違いをしていたんです。仮に、すぐには無理だったとしても、何年かプレーしていれば1軍に引き上げてもらえるだろうと、楽観的に考えていました。
ところが、日本ハムファイターズ入団1年目となる1999年、僕は自分の考えが甘かったことに気づきます。プロの選手は、想像していたよりも、はるかにレベルが高かったのです。
最初にビックリしたのは、俊足の外野手、石本努さんのベースランニングでの足の速さでした。僕もスピードには自信があるほうでしたし、それなりに足が速い選手も目にしてきたのですが、石本さんのあまりのスピードを見て、僕は何も言えなくなるくらいの衝撃を受けました。
打撃陣のティーバッティングにも驚きました。飛距離や、コントロールについて語る以前に、打球の音がアマチュアとは全然違うんです。
「なんなんだ、この人たちは。住んでいる世界が違う」
大げさでもなんでもなく、そんなふうに思いました。
シーズン当初は、ケガで出遅れたのですが、全体練習に合流してからは、「負けてられるか」と、生意気にも食らいつこうとしました。ですが、まったく歯が立ちません。プロ入り前だったら、「なんだ、あのショボそうなピッチャー」と思ったであろう2軍選手の投げるボールでさえ、僕はまったく手を出せませんでした。
「やばい、俺のほうがよっぽどショボいじゃねーか!」
身の程を思い知らされ、練習に没頭できるようになりました。
「まずは地固めをして、数年後に勝負しよう」
僕はひたすら、体づくりに取り組むことにしました。スピードやスタミナを向上させて、周りの選手と勝負できるようになろうと思ったのです。
そして、次第にこんな感覚になっていきました。
「ここまで準備をしたんだから、あとは『なるようになる』だろう」
思いつく限りの準備をしたうえで、「なるようになる」という気持ちでプレーするのは、大した準備をせずに「なんとかなる」という感覚でプレーするのと、まったく違います。
準備したものを出しきって、その結果プロで通用しないのであれば、そのときはあきらめもつくでしょう。僕は「なるようになる」の精神でプロ生活を送り、2年目から少しずつ1軍での出場試合数を増やしていきました。
ですが、ときどきうっかりして、適当な行動をしてしまうこともありました。
ロッテ浦和球場で行われたファームの一戦で、ベンチメンバーだった僕に、監督から声がかかりました。
「森本、代走でいくから準備しろ」
やっていたバット引きを切り上げて、たいしたウォーミングアップもせずに急ぎ足で塁につくと、いきなり盗塁のサインが出ました。勢いよく走りだすと、次の瞬間「ぶつっ」とイヤな音がして足に激痛が走って……。肉離れで病院に直行でした。
このときの、塁に立つ前の心境が、まさに「なんとかなる」です。「俺、若いし、走りに自信あるし、見せつけてやるか」くらいの気分で、なんの準備もせずに代走に入った結果が肉離れだったので、ものすごく後悔しました。
もし、ちゃんとベンチ裏でストレッチやもも上げをしてから代走に入っていれば、その結果、ケガをしたとしても、「あれだけ準備したけどケガしてしまったんだから、これはしょうがないことなんだ」と受け入れられたはずです。
「なんとかなる」という姿勢では、いざというときに実力を発揮できませんし、結果に後悔することもあります。
目の前にある状況を正しく分析し、勝負できる土台を築いて「なるようになる」と思える状況をつくっていく。
そういう過ごし方をしていれば、いい結果が出やすくなって、たとえ何が起こっても受け入れられます。どこか投げやりな感じのする、「なんとかなる」なんて言葉も出てこなくなるでしょう。