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「この投手化ける」と感じた5年前。セタコー・創価大・育成の石川柊太。

石川柊太の登場曲は、去年も今年もももいろクローバーZ。プロ4年目にして一軍デビュー、そして一躍主力の一角を占めている。

先日、甲斐拓也捕手の奮戦ぶりをお伝えしたかと思ったら、今度は投手・石川柊太(しゅうた)が投手陣の一角を占めようとする勢いだ。
ソフトバンクの育成出身の若手選手たちの台頭はめざましい。
石川柊太が“A組”抜擢で頑張っていた今春の宮崎キャンプのこと。やはり、一軍メンバーのA組でピカッと光ったプレーを見せていたのが、遊撃手・曽根海成だった。
プロ球界を代表する天才的フィールディングを展開する今宮健太と共に、遊撃手としてノックを受けながら、まったく物怖じしたところがない。“ナショナルフラッグ”の今宮健太を向こうに回して、打球を処理する安定感では敵わなくても、三遊間からの力感抜群のスローイングは間違いなく見る者の目を惹く勢いだった。
育成でも4年目でここまでになるのか……。
背番号140。3ケタの重苦しさもみじんも感じさせない軽やかな動きが今でも印象に残る。
育成がすごいな……。その足音がこの耳に聞こえてくるようだった。

ソフトバンクの創価大といえば田中正義だが。

彼らと同じ育成4年目の石川柊太が、5月の交流戦から先発で登板するたびに好投を繰り返し、ここまで4勝を挙げている。
内容がすばらしい。最近5試合の31イニング3分の2で自責点わずか5。防御率にすればおよそ1.40、38三振を奪っている。
同じ育成出身で投手陣の軸にのし上がった千賀滉大が万全ではない。さらに、和田毅が故障で抜けて、武田翔太も出遅れているソフトバンク投手陣は、正直なところ困窮状態だ。
そこにサッと現われて、さらっと“穴”を埋めているどころか、それ以上の働きを果たしている。お見事! と肩のひとつも叩きたくなるほどの大活躍だ。
石川柊太が「創価大学」出身であることは、まだあまり知られていない。
ソフトバンクで創価大学といえば、昨秋のドラフト1位指名として鳴り物入りで入団した大器・田中正義であろう。
現在、田中正義はファームで時間をかけて右肩の調整につとめているが、その間に、“隠れ創価”の石川柊太がその脇をスルリと駆け抜けていった。

大学時代からスターだったライアン小川の1コ下。

プロ野球で創価大学といえば、ヤクルトの「ライアン」小川泰弘投手が入団5年目になる。
その小川投手が大学4年の春、「流しのブルペンキャッチャー」の取材でピッチングを受けている。
当時、168センチの小兵ながら、下半身の充実はローマの彫刻のようにすばらしく、右足で立った姿勢で上体を押しても、微動だにしなかったものだ。
左足を上げてから、いったん背中を打者に向けるような準備動作は当時「トルネード」などと呼ばれ、そこから踏み出して一気に体の左右を切り替える投球フォームはボールのリリースポイントがとても見にくく、身長は低くても抜群の角度を感じさせる稀有の球筋だった。
低く伸びてくる速球の生命力は、近未来でのプロ球界での活躍を予感させてくれた。

小川の後を継げるか、当時は半信半疑だった。

小川投手を受けていたブルペンの、1つ横のマウンドで投げていた長身で腕の長いオーバーハンドが、1年下の3年生・石川柊太だった。
「来年は小川も卒業するし、今リーグ戦で投げてる他のピッチャーもみんな卒業だからね。こいつがどれぐらい頑張ってくれるか……なんだよね。でも、まあ、そんなこと言ってても、こいつしかいないんだから、やってもらわなくちゃ困るんだけどね」
ほんとのところ、期待半分、不安半分。
創価大・岸雅司監督も、その頃は、まだそんな口ぶりだった。
その石川柊太が、「都立総合工科高校」の出身であることは、大学以上に知られていないはずだ。
今でこそ、そういう校名で西東京でもなかなか手ごわい存在になっているが、以前は「都立世田谷工業高校」と称していた。
なぜここでそんな話を持ち出したかというと、この世田谷工業高、当時は略して「セタコー」と呼んでいたが、ここは私が高校球児としてデビューした場所なのだ。

セタコーからプロ野球選手が出た、という感慨。

私が早稲田大学高等学院に入学したばかりの5月。
レギュラーの3年生が1人、急病で欠場。急遽、一塁手のスターティングメンバーとして練習試合に出場することになったのが、このセタコーのグラウンドだった。
突然のご指名に、「待ってました!」と勇み立つ思いと、「えらいことになった……」というひるむ気持ちが交錯して、不慣れな一塁のポジションを守りながら、結構ヒザが震えたものだ。
たまたま“まぐれ”で、3本のシングルを広角に打ち分けて、なんとか急場をしのいだが、やはり人間、なんでも“初めて”という記憶は強烈なもので、今でもその情景ははっきりと映像として残っている。
そのセタコーからプロ野球選手が出た。

「この投手化ける」と朱文字で書いたスコアブック。

確かに、快腕・小川泰弘が卒業した翌年の「エース・石川柊太」の投げっぷりはなかなかのものだった。
トルネードは、偉大な先輩のそれをそのままなぞり、体の左右を一気に切り返すフォームも先輩の良いところをそのまま引き継いで、すばらしい角度のボールを投げ下ろす。
セットポジションから、スイッと投げたカウント球でさりげなく145キロをマークしてみせるパワーもあって、何よりタテに地面に突き刺さるような高速カーブに、打者はスイングの“接点”をとらせてもらえない。
立ち上がり、トルネードのバランスが体になじまないうちはボールが高低にあばれることもあったが、素質なら先輩・小川泰弘にもヒケをとらないと見た。当時のリーグ戦を記したスコアブックにも、「下半身を作れば、この投手化ける」、そう朱筆で記してある。
これだけの投手が育成指名なのだから、人の評価とは興味深く、ドラフトというものは奥が深い。

青白い顔のひょろひょろだった高校生がいまや……。

石川柊太がソフトバンク入りした年、球場で会った創価大の岸監督がこんな話をしてくれた。
「僕はねぇ、正直ウチじゃあムリだと思ったんだよね、石川は」
高校3年の秋、創価大野球部の練習会にやって来た時の石川柊太の話だった。
「体は細いし、なんとなく元気ないし、あの頃はメガネかけててね……それが余計に、弱々しい印象になってね。でもウチでピッチャー教えてる佐藤コーチがね、『どうしても獲りたい』ってがんばってね。『あの腕の振りは普通じゃない。体さえ作れば絶対モノになります。賭けてみたい!』ってね」
眼鏡をかけて青白い顔をしたひょろひょろの高校生が、ものの7、8年も経たないうちに、人も見間違えるような隆々の体躯を、プロ野球の、それもソフトバンクのユニフォームに包み、中田翔を、山田哲人を、T-岡田を、バッタバッタと切り捨てているのだから、人の人生なんてちょっと先がもうわからない。
学生時代から必殺兵器だった地面に突き刺さるほどの勢いの高速カーブは、“パワーカーブ”という称号が冠され、彼の代名詞にもなりつつある。
ソフトバンクの最初の2年間はヒジや肩の不調で野球にならなかった石川だったが、昨年、ウエスタンで投げ始めた途端の4連勝。
突き抜けた投げる才能と、まだ万全と言えないのかもしれぬフィジカルの未完成さ。
この先の“勝負”は、投げていない6日間の過ごし方なのかもしれない。

提供元:Number Web

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